「いい日旅立ち」へ
「雪解け真近の北の空に向い」と谷村新司作詞・作曲の「いい日旅立ち」を山口百恵が唱うのを聞いた時良い歌だと思った。
丁度彼女が華麗なる転身をした頃で、「あゝ日本のどこかに 私を待ってる人がいる・・・」と女子大の謝恩会で唱う歌としては最適なので「もち歌」としてよく唱ったものだけれど、今はその機会もない。
今度は「もしもピアノが弾けたなら」とそのメロデイに挑戦している今日この頃である。
何故山口百恵なのかというと誕生日が同じだからである。
「フランクリン 山口百恵 そして教授の誕生日」という「句」を昔創って書いたことがあったが、大正10年1月17日が私の誕生日である。
昔なら「金色夜叉」の今月今夜の日であったが、「湾岸戦争の日」になったし、今度は「阪神大震災の日」になって新しく記憶に残る日と重なった。
したがって今年満75歳を迎えることになって、人生ひとくぐりとして、「新しい日」へ「いい日旅立ち」をしたい気で筆をとった。
フランクリンというのはベンジャミン・フランクリンのことで、小さいときから誕生日が同じだと意識していた。
最近色々と書物を読んでみるとB.フランクリンもかなりの人であったと思う。「あの男は天から稲妻を奪いとったが、やがて王政君主から王権を奪いとるであろう」といわれたように今から200年前アメリカ独立に携わった人であった。ピユ−リタンとして典型的なアメリカ人で「真実・誠実・清潔」がうりものである。この点も見習いたいと思うが、私は合理的・科学的精神をもち「純粋科学から避雷針」という実利性を実現した点をかいたい。
先日青森県の精神保健大会に呼ばれて講演をする機会が与えられたが、題を「体と心の健康句」とした。津軽書房から「解説現代健康句」を出版したこともあって、私としては「体」のことはやってきたが前前から興味をもっていた「心」の問題について、これからの「宿題」としてやっていきたいという気持ちを含めて題をつけた。講演をするとき勉強をしたことだけれど、「神」の「申」は天地を結ぶ不可思議な現象としての「稲妻」を象形化した文字だという。その「稲妻」に凧をあげて「それは電気現象」だといったのがフランクリンだと教えられていたのだから。
近ごろ「全国オウム真理教中毒」でTV・新聞を賑わしているが、画面や紙面に出て来るのは宗教家・宗教評論家だけで、精神医学者は殆ど出て来ない。これに応えられないのであろうか。「精神の病気」であるとしたら、「無罪」を主張しなければならなくなることになるのであろうか。「精神」が「サイキ」であって、てんかんを脳の病気として認識したヒポクラテスに始まり、その病気を医者として「治療」「イアトロ」することから、「精神医学」が始まったとあったが、実際はどうなのであろうか。だから50年以上前医学教育を受けたとき、まだ何も分かってはいないことに興味をもったのだが。あれからどれだけ「心」の問題に医学が貢献してきたのかと思うことがある。
私が今までとくにやってきたのは「予防医学」「衛生学」「疫学」で、その立場からみると「病気」はすでに出来上がった病気の自然史の、それもかなり後になってからの時期の病像として認識されると考える。それが脳卒中や高血圧などなら具体的にその予防方法を、「リスク・ファクタ−」として、また私のいう「ベネフィット・ファクタ−」も指摘できるようになったと思うのだが。「精神保健」の方はどうなのであろうか。身近にわれわれの後輩が次次と事件をおこすとせっかくの人材がどうしてと思うこともある。だから「宿題」としたのだが。
戦後50年たって、それをテ−マに昨年日本医事新報に書いた。今年は「先生」を題に「日本百年」をテ−マに原稿を送った。
昨年戦後50年の特集記事や番組がおどったが、「明治憲法」に代わって「新憲法」の時代になったことを論じた記事が殆どないのには驚いた。最も大きな出来事ではなかったかと思うからである。
「日本百年」といったのは今からざっと百年前に日本は従来の「学問」にとってかわって西洋の科学の一つ「医学」を学び始めた時代であるからである。「フィロソフィ−」も「哲学」に、「サイエンス」も「科学」に、「フィジクス」も「窮理」やがて「物理」に、「フィジオロジ−」は「生理学」に、「ハイジン」も「健全学」からやがて荘子にあった「衛生」をあてはめることになった時代である。
今までとは全く異なった「思想・学問」にふれ、それを「日本語」として表わし、その後はその日本語によって戦前50年戦後50年教えられてきたたとみるべきではないか。
戦後「パブリック・ヘルス」は「公衆衛生」になったが、「パブリック」と「プライベイト」が即「公」と「私」になるとは思わないのだが。福沢諭吉先生は「痩我慢の説」のはじめに「立國は私なり 公に非ざるなり」と書いている。
その国から「叙勲」の知らせがあった。長年国立大学に勤務したことによる叙勲と思われるので、受けることは大変心苦しかったが、国家公務員・教育公務員として勤務し生活させて戴いた身として、叙勲をお断りする理由はないと思った。