1965年9月24日、私はミネソタ州ミネアポリスの飛行場についた。
ミネソタという言葉はそのまま通じるにしても、ミネアポリスと棒よみにしては絶対に通じないのである。ポリス・ポリスといえば、policeのところにつれていかれる。
”たくさんのりんご、メニイアプルス”と発音すればMinneapolisとしてわかるのである。
ミネソタ州には山らしい山はなく、Land of lakesといって、州の中に10,000もの湖があることを売り物にしている。
ミネアポリス市は、セントポ−ル市とミシシッピイ河をへだててあることから、Twin cityとして有名で、ワ−ルドシリ−ズのTwinのホ−ムタウンでもある。ミシシッピイ河がこんな地まできていることはおどろきであった。
岡本登(名大・日比野内科)、金児克己(東鉄)両先生に迎えられ、、Twin cityの中間にあるミネソタ大学のその名も高き”Gate 27”へと急いだ。
”Gate 27”この言葉を何度聞いたことだろう。私の留学先の名前をいうたびに、”オ−、Gate number twentyseven!”と、会うアメリカ人は一様にいった。この言葉は、Dr.Ancel Keysをさし、また彼の主宰する研究室”Laboratory of Physiological Hygiene, School of Public Health, Minnesota University”を指し、そしてこの研究室から世界中に向かって発表された業績のかずかずを指すのである。
”Gate 27”はフットボ−ルのStadiumの入口の番号をさす言葉だが、Stadiumの中に研究室があるとはこの目でみるまではなんとも信じられなかった。だが実際にあったのである。アメリカのどの大学でも、大きな収入源になるフットボ−ルのためにStadiumをたてている。その中に研究室があったのだ。School of Public Healthの立派な建物は別にあったが、沢山のスタッフと実験室をもつDr.Keysの研究室は、やや大学からはみ出したかっこうを示していた。Diet-Heart Research Centerのためにも別の建物をかりていた。
所属はSchool of Public Healthなのだが、手紙に住所を書くとき、School of Public Health をいれるより、その名をぬいて、Gate 27と書いたほうが早く着く。毎日2回、学校とは別に郵便自動車がくるのである。
フットボ−ルのStadiumに研究室があるのだから、ウイ−クエンドのフットボ−ルの試合のある日はとうぜん休みになる。その日は仕事なし、と研究室に掲示される。もっともアメリカではどこへいってもウイ−クエンドの土曜日は休みだから、手伝いの人たちは通ってこない。だが研究室に用事のあるときはどうするか。いつでもGateを通れるパスをもらうことからはじまった。
”・・whose signiture is on the reverse side, has necessary business in the South Tower of the Stadium, Director Ancel Keys”
これをみせれば、StadiumのGateはフリ−パスだったが、このパスでフットボ−ルの試合をみる機会は残念ながら失してしまった。
次の問題は、”鍵”であった。アメリカの生活と鍵とはきってもきれないえんがある。ドア−をしめれば、外からは絶対にあけられれない。はだかで廊下にでてこまった話など留学前にずいぶんきかされた。
秘書の長であるMrs.Foster(秘書がかれこれ5-6人もいたから、その長の銀髪の美人秘書)と交渉して教室に出入りする鍵をすぐもらったときには、前からきておられた金児先生はおどろいた。Gate の鍵と教室の入口の鍵なのである。大学の警察(Department of police)へいって、サインをしてもらってきたのだが、これがなかなかもらえないということだった。いつか前に日曜にも教室へ出たいと思って鍵をくれといったら、”お前は日曜も働くのか”と一言いったきりだったという。
日本から留学している者は1日でもよけいに勉強しようとする。むこうからみれば、お前はおれの金でやとわれた身だ。日曜に仕事をする必要はない、というのだろうか。
鍵をもつこと、これは完全にその部屋に入ることを保証された人という意味にとれる。鍵があったら中に入れる。入っている人は保証された人だ、という三段論法のとおり、どんな真夜中に研究室に一人でいても、何十という鍵束を腰につけ、つぎつぎと部屋をみまわりにくるPolice manに何にもいわれたことはなかった。
鍵、その戸はその鍵でしかあかない、という意味にとれる。どんな大きなビルでも入口の鍵は一つ。その鍵がなければてこでもうごかないのがあちらの扉というやつだ。研究でも同じではないだろうか。つきつめていけば、必ず鍵にあたる報告がある。key pointのはずれた報告にはみむきもしない。そしてkey pointにふれたことをちょっとでもいおうものなら目をむきだしてくる。これがアメリカの研究者に共通にみられたことだった。
鍵は英語でkeyという。たくさんの鍵はkeys。 Dr.Keysはたくさんの鍵をもっているのであろうか。彼の自宅の書斎には、日本の誰かがあげたという”鍵”という額がかかっていた。
WHO'sWHO in Americaによると、Dr.Keysは1904年1月26日生れとある。そろそろ停年のようだ。だが実に精力的に仕事をしている。いちばん早く午前7時半すぎには教室に顔を出す。そして1日彼の部屋で書き物をし、夜の7時に帰る。セントポ−ルのOWASSOという湖の近くにある彼の自宅から、Stadiumの前のDr.Keysの名札のある駐車場の間を往復し、世界の学会とイタリヤの”Minnelea”となずけた彼の別荘に行く以外には、ほとんど外へ出ないでがんばっている。
奥さんのMargaret夫人との共著のEAT WELL AND STAY WELL”はベストセラ−になった。この本のうら書きをしていただいたとき、すぐ日本語の訳本(長生きするための食事,柴田書店,昭36)を本棚からとり出され,”atherosclerosis”を”細動脈硬化症”と訳していると、ちょっと不満顔にささやいた。
Keys先生がヨ−ロッパでの勉学を終え、ミネソタに来られたのは1937年、それからMinnesota Experimentとして知られる有名な飢餓実験が行われている。1946年に教授になって今の研究がスタ−トしているようだが、”It time to develop a science of physiological hygiene”とむすばれた発表を、1948年に、Chicago Heart Associationでなされたのが、先生のkeyの一つと思うのである。
”ちょうど1940年の自動車が、新しいエンジンをつけ、オ−バ−ホ−ルをし、新しい部品をつけなければ直せないのと同じ理由で、動脈硬化・高血圧は治りそうには思えない”といったあと・・・
The main question boil down to two points. First,what elements in the manner of living tend to slow or to quicken the pace of cardiovascular ageing? Second, however can we recognize and minimize the incipient danger to individual?・・・
The KEY, I think again, is to be found in the elementary fact that some people develop hypertension and others do not; some people develop arteriosclerosis at an early age and some people live to very advanced ages with a minimum of this development.
What are the difference between such people cardiovascular disease develop? In other words, a systematic study of people when they are normal, together with follow-up studies to discover what happens to them regarding the heart and blood vessels, should be the starting point.
それからはじまった調査、そのやりかたについては今くわしく書く余裕はない。
日本の木村登先生をはじめ、イタリヤ、ギリシャ、ユ−ゴ−などの世界の人材と広く結んで、動脈硬化・心臓病と,とくに栄養関係との所見をつぎつぎと発表された。今アメリカ各地で行われ、近くその成果がまとまる予定のNational Diet-Heart Studyに、その理論が実証されることが期待されている。
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