予言者

 

 本州の北のはずれ、下北半島のマサカリの刃にあたるところに大間という町がある。最近函館と一時間半で結ぶフェ−リ−ボ−トができたことでニュ−スになった。

 昨年の夏、この大間の奥戸(オコッペとよむ)という部落へ行ったときのこと。

 夏休みに、医学生と看護学生と組になって、へき地に入り、保健福祉活動をするようになってから今年で7年目、その一つがこの奥戸の部落にあたったのである。

 一夜、座談会が開かれ、健康問題あれこれの話あいがおこなわれた。私はどの土地にも良い面と悪い面があり、この奥戸にも良い面が沢山あること、例えば、新鮮な魚はとれ、海藻もとれ、山菜もあり、空気はきれいで、砂浜は真珠とまではいかないが、都会ではみられない良い生活の面があることを話したあと、だが、悪い面もあること、例えば、水にしても見た目にはきれいで、先祖代々何もなかったかもしれないが、流れる川に水で米をとぎ、さしみをつくり、皿をあらい、洗濯をするのでは、いったん赤痢でも入ったらこんな部落は全滅ですと。

 こんな話をして帰って一週間目、私の予言は適中し、伝染病予防法の発動にまでなった赤痢の集団発生がその部落におこったのである。

 だから、私はその部落では予言者ということになっているそうだ。

 この事件のあと、町には簡易水道の設置の話がはじまった。

 

 現に今、学問的にわかっていることが、何故実生活の中にいかされないのであろうか。

 健康問題に関し、われわれ衛生学者は、予言者の資格をもっているといえる。

 明年、必ず脳卒中で 16万人以上、癌では10万人近くの方が死ぬだろう。現に今、自分は大丈夫だと思っている人の中から、これは予言である。

 そして、現代における予言者の言葉を生かすのが、世の政治家のつとめではないか。

(日本医事新報,2100,46,昭39.7.25.)

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