魂をうる学生

 

 最近のできごとで、いわば恥をさらすことになるのだが、一般的な問題としてとらえて戴きたい。

 実は衛生学の中間試験に「今までの講義をきいて、印象にのこった項目を10あげ、簡単な説明をつけよ」という題をだしたのだが、その答案をみておどろいた。

 私の講義は、記憶の学問というより、それぞれの時間に健康について考え、一人一人の考えをもつことを願って行っているのであって、各人がどんな項目に興味を惹かれ、どんな考えをもっているかをみたかったのだが、答案の中に、いつくか全く同じ項目をあげて、同じ説明を書いているのをみて考え込んだのである。あとでわかったことなのだが、このような中間試験が行われると発表されると、すぐ答案集が印刷され、有料で配布されていたのである。だから、欠席した時間に講義したはずの項目をあげているものもあった。その答案集をみて、ただすこしおぼえて出せばよい、それで試験がすむと思ったのであろう。

 こんなことは昔でも、どこでもやられていることだといわれるかもしれない。

 その人なりの考えを求めているのに、他人の書いた物を出すとは、いわば、”魂をうる学生”ではないか。彼らが卒業したあと、”魂をうる医師”にならないと誰が保証できよう。

 勿論多くの学生は貴重な意見を書いていたのだが、何人かのこのような学生がいたことに、あらためて教育のむずかしさを感じた。この小文が彼らの目にふれ、魂をうる医師にならないことを願うのである。

(日本医事新報,2571,27,昭48.8.4.)

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