科学の世界に速断は禁物

 

 先ごろ労働科学研究所の研究で、秋田県の農民はいかに早老であるか、その理由はなにか−これを岡山県と比較してみると、結局ははげしい労働によるものだと、という意味の報告があったのを読みました。ところが、東北大の近藤正二教授は京都の医学会総会で「長寿と食習慣」という題で特別講演され、食習慣さえよければ、労働は激しくても決して早死するものでない、とされました。前者の主張は人生にやや暗いかげをあたえ、後者は明るさをとりもどし、勤労する意欲をおこさせる、という印象は否定できません。しかし、この二つはともに数十年の研究の結果であり、これだけで事の良否をどちらかに判断することは危険といわざるを得ません。

 ここで私のいいたいことは、ほんの数行の知識から、総てのことが解決されてしまったかのごとく考えてしまうことは、ものごとを科学的に判断する訓練の欠けている日本人としてはよく注意しなければならない点である、ということです。ビタミンとかいろいろ新しい薬が発表されると、それだけでなにもかも解決されてしまったかのごとく報告し、またそんな印象をもってしまうことは、絶えず注意しなければならないし、人間というものをよく理解しているとはいえないでしょう。人間は複雑というか、弾力性のあるものだと思います。これは人間を絶えず総合的な有機体としてみてゆこうとする、医学の中の衛生学の立場からする主張であるのです。

(朝日新聞 ;声,昭30.4.18.)

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