保健医学研究会へ
今話題になっていることに、医療制度の問題と医学教育の問題がある。
医療制度の問題とは、新聞紙上をにぎあわしているところでは、社会保険の点数なり、医療費の検討であるようにみえるが、これは表面的なもので、その根底には、過去から現在までに発展してきた医学が、今になって直面した医療の概念についての反省があり、又医学がその実践面で要求される色々な機能への考察が必要になったからであろう。又そう考えなくてはならない。
医学教育についての問題も、戦後急速に輸入され、その影響を受けたアメリカの医学教育についての反省の時期が到来したように表面的には受け取られるが、しかし根本には、医療制度の問題と同様に、医療の概念が問題であり、又その実践者としての将来医師として、医療にたずさわる医学生の教育は、どうあるべきかの考察が必要な時代になってきたからであるにちがいない。
医学の歴史的発展を考えてみるなら、現在は単に治療医学と予防医学とを対立して考える時代ではない。
広義の予防医学(preventive medicine)が、health promotion, specific protection, early diagnosis and prompt treatment, disability limitation, rehabilitationと5つの段階をもつものと広く解釈されるようになったのが、1952年のColorado Springsにおける「医学校における予防医学についての会議」以来である。
又近代予防医学はは一言でいえば、医学の機能をcomprehensiveにみてゆくことである。将来の新しい医師は、このcomprehensive medicineという頭、あるいは新しい意味の予防医学というものをもっていなければ、完全な医師とはいえないと考えるのが、世界の今の趨勢であると考えられる。
現在までの医学教育および医学の実践における関心は、患者自身というよりは患者の特色の部分に、疾病の原因というよりもその分類に、また健康の増進・疾病の予防というよりも、すでにでき上がった疾病の処置および治療に向けられており、疾病の社会的遠因につぃては全く考慮されていなかった。そして10数年前、これらの現実と一般的な傾向が指摘され、現在のcomprehensive health careの概念に発展したのがイギリスの姿であるといわれている。
振り返って日本の、又青森県の姿はどうであろうか。色々な矛盾がかくされているに違いない。このようなときに、何ものにもとらわれない、若い心で、現実にぶつかり、問題をとらえ、自ら体験してゆくことは、何にもまして貴いものである。
数年前からとみに活発に、夏期保健活動に、自由研究に、自らの体験をつまれている保健医学研究会は、現在の医学教育の欠陥とも考えられる面を、学生自らの努力によっておぎなっているといえる。
本県においては、公衆衛生と社会福祉の一本化としての育成協も生まれ、学校保健は古い歴史があるし、精神衛生協会、母性衛生学会が誕生し、近くは小児保健研究会が発足しようとしている。これらは保健医学研究会の活動の発展を示すと共に、その発展の大きいことを理解させることにもなろう。
そして新しい医師は、自ら学んだ体験を通じて生まれてくるものであろう。私はそれを信じたいのだ。
保医研によせて
昭和36年の保医研の活動報告書に私は次のようなことを書いた。
「今話題になっていることに、医療制度の問題と医学教育の問題がある」と書き出し、医学の発展の歴史と、夏期保健福祉活動の意義についてふれ、最後に「そして新しい医師は、自ら学んだ体験を通じて生まれてくるであろう。私はそれを信じたいのだ」と結んでいる。
それから10年、たしかに前のべた二つの問題は具体的にわれわれの眼前に展開された。
全国的に青年医師、医学生を中心とする運動が展開され、今年7月には保険医総辞退になった。
保険医総辞退は、46.7.27の斉藤厚相、武見会長との間で4項目、46.7.28の政府(佐藤首相、斉藤厚相)医師会(武見会長)との間で8項目、合計12項目についての合意が得られたことで一応終結された。
しかし今10月で、約10%以上の医療費の値上げが考えられている程度の案が示されているだけで、医学教育についても、学会が誕生し、医学校の増設、わが校でも定員120名への増が示された位の変化である。
私には日本の医学が実際に大きな変化をしなければならぬ時期を迎えているにもかかわらず、変わりえないでいる中に時がすぎているように思われるのである。
ここで私は、合意12項目の中にのべられている点にふれ、将来への問題点を指摘しておきたいと思う。それは「一生涯の一貫した医療保障」と「保険の負担と給付の公平」との2項目がかたをならべている点である。ここで2つをあげたのは、保険と保障のお互いに相違する原点をもつものが、共存し得ると考えることができるかという点である。
封建国家から近代国家に発展してきた途中において、当時の知識階級であり俸給生活者であった牧師たちが、必要にせまられて考えだしたいわゆる生命保険、ここには大数法則、ハレ−の死亡表が利用され、1693年、お互いに公平な(Equitable)生命保険がイギリスに誕生し、現在に至っている。現在の健康保険制度は1883年にドイツで制定され、わが国では1922年に制定されている。一方保障(Security)は1941年に提唱され、わが国では戦後新憲法の中に示された。
人間の生命、健康は、私が衛生学の講義で述べているように、今や予測のできないものではなく、人間の健康は生から死への連続的な概念として把握される必要があり、それぞれのレベルにおいて健康水準の評価は可能でありその人の具体的な生活とむすびつきをもつ問題である。
このような歴史の流れ、医学の発展を知ることによって、保険と保障が今後どのような経過をたどっていくかは、医療にたずさわる人たちの関心事でなければならないと思うのである。
保医研の真髄
保医研は何をするところか。
過去十数年、医学生の自主研究グル−プとして続いてきた保健医学研究会の真髄はと考えてみると、第一に「生活している人たちに接し、保健について考えること」があげられよ。人間を対象にした学問である医学の、現在の時点での欠陥を指摘するなら、その教育課程の中で、実際に生活している人たちに接する機会がほとんどないこと、をあげることができる。病気になった人たちを相手にすることの多い医学であっても、その人たちの生活の場で、その人の病気を考えてみなければならないことは明らかである。
その点保医研は、積極的に人たちの生活している場へとびこむことによって、その人たちに接し、見聞きし、考える機会をもってきた。
実際の研究の場としては、夏期保健活動への参加をあげられよう。主催者は国保連、各市町村であっても、その機会を自ら利用することによって、その実をとってきたといえる。
何を見、何を考え、その中から何を得ようと、それは諸君の自由である。いわゆるアルバイトとは異なるものと考えなければならない。そこで経験をもった人ともたない人、すなわち保医研の活動に参加した人としない人の間には、おのずと差のつくのは当然である。でもすぐ目の前で、これだと指摘できるものはないかもしれない。しかし何かを得たと信ずる。このことは多くの先輩に聞いてみるがよい。
私自身についても、学生時代に同じような経験をもったことを思い出す。それは満州であったこともあった。北海道や信州であったこともあった。
弘前大学へ来てからも、青森県の人たちが、どんな生活をしているのかを、まず知ろうとした。はじめに県内全部の地図を買い、行った先々に赤い線の印を付けることを始めた。そして15年たった今日、ほとんどの土地に足をのばしたことになった。
先年世界をまわる機会を得たことは幸いであった。世界の人たちは、それぞれ色々な生活をしているのである。そして色々な健康問題は、それを背景におこっているに違いないと思う心は、一段と強くなったのである。