NI-HON-SAN Studyによせて

 

 昨年(1974年)3月東京で開かれたWHOの会議(Meeting on the control of hypertension and stroke in the community)に出席したときのことであった。ホノルルからきたDr. Kagan が”NI-HON-SAN Studyのことにふれて、この言葉をしゃべったとき、流ちょうな英語の中にふと飛び込んできた日本語らしい言葉に、一瞬私は”日本さん study”と受け止めたことを思い出す。しかしそれは略語で、NIはNippon、HONはHonolulu、SANはSan Franciscoであり、内容は彼らが研究の対象として選んだ”The Japanese Three”であった。

 日本人の循環器系疾患が国際的に注目されるようになったのは、いつ頃からであろうか。

 1941年に研究がはじまり、48年に報告されるた西野忠次郎先生らの”脳溢血”の研究は、ほとんど国際的には知られていない。動脈硬化や心臓病が先進国で話題になってきた頃、1954年の第2回世界心臓病学会議で、木村登先生が、九州地方の病理解剖例について、冠状動脈硬化の状況を報告されたのが、一つのきっかけになったかと思われる。この研究は、Keys先生らの世界七か国の心臓病の比較研究へ発展する。また1961年のDr.Kurlandらによる日本の脳卒中の死亡率についての批判に答えるようになったのが、冲中重雄先生らの”日本人のおける脳卒中の特殊性”また勝木司馬之助先生らの”久山町研究”があげられよう。ABCCに多くの米国学者が滞在し、研究したことも日本の実情が知られる良い機会であった。

 国際的にみても疫学的な考え方に基づいて循環器疾患への接近がはじまったのは1950年頃からであり、その具体的な研究方法についての検討がされるようになったのは1960年に入ってからである。

 International Society of Cardiology(ISC)の中にCouncil on Epidemiology and Preventionが誕生したのも、1966年の第5回世界心臓学会議のときであった。

 このような循環器系疾患の疫学的研究の流れの中で、日本とのかかわりあいをみると、われわれの教室で高橋英次先生らと始めた研究が1957年にHuman Biologyを通じて出されたこともあげておかなくてはなるまい。またその後の研究や、1970年に第6回世界心臓学会議で日本の高血圧の実情と食塩との関連について報告したことも。

 こんな時に、NI-HON-SAN Studyの話を聞いたのである。

 彼らの研究の目標は、これら三地域での日本人の脳・心の循環器系疾患の有病、り患、死亡の正確な評価であり、危険因子に関する検討であった。そして国際比較や既往調査につきまとう方法論上の異議を少なくしようとし、方法や観察による不定さを少なくすることを期待して、追跡調査を行っている。

 厳密に方法を統一して調査を行うことは、疫学の第一歩である。その意味からいえばわれわれ日本人による研究への批判と受けとられる点もあるが、その研究の目標はアメリカでいわれているコレステロ−ルのような危険因子が日本においてどうであろうかの答えを求めようとしている。

 しかし日本に住み、日本において研究している者からみると、日本はあまりにも広く様々である。だからアメリカの日本人を”HON”と”SAN”にわけるられるなら、広島の日本人を”NI”(Nippon)とはいわずに”HI"(Hiroshima)に考えてほしかった。もっとも彼らの”NI”は広島と長崎との例で、平均的日本人と考えているようであったが。

心臓,7.407.昭50.)

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