奥羽本線の記

 

 秋田地方に雨が降って洪水になり、奥羽本線「飯詰 ・後三年間不通」と掲示がでたとき、それをみた人があわてて「あと三年間不通」と読んで驚いたという話を聞いたことがある。こんなことが笑い話になるような線が奥羽本線のようだ。

 珍名・難字のある中で、奥羽本線の駅名にもなかなか面白いものがある。

 上野から寝台にのると朝目をさますのは新庄をすぎた頃である。「インナイ」「インナイ」(院内)の声で起こされるのだが、上野駅前でみたポルノ映画の残像か、週刊誌の読み過ぎか、私にはある連想にとりつかれるのである。おまけにその隣の駅が「のぞき」「のぞき」(及位)とあればなおさらである。

 さらに十文字・横手・大曲と四十八手のような駅をすぎ、途中で「だいご」(醍醐)味をあじわいながら、もう「あきた」「あきた」と秋田駅へすべり込む。

 ”秋田から あと3時間と 恐縮し”

 友人を弘前に案内するときは、青森まわりで弘前にきても、奥羽本線で秋田まわりできても、いつも恐縮するのだが、弘前はこれまたはるかな遠い土地である。初めてこの土地をおとずれる方にとっては、とくに遠い国と感ぜられることだろう。だが私にとって秋田から弘前まで次々と通りすぎてゆく土地には、色々と思い出がある。

 雄物川をわたって山なみをみるとき、20年前高橋英次先生・武田壌寿・伊藤弘君らとあるいた村を思い出す。荷物をリヤカ−にのせ、それに血圧計をつんで村から村、部落から部落へと血圧を測って歩いたのだ。北秋田のこの地方は世界有数の脳卒中多発・高血圧地帯であり、それから今日まで研究が続いたのだ。

 温泉の多い峠をこせば津軽平野に入る。身近にせまる山々には春はりんごの花が咲き、秋には赤や黄のりんごが目を楽しませてくれる。そしてこの土地に住む人たちは、すぐ隣の秋田の人と違って、若い働きざかりの人の脳卒中が(われわれはこれを中年期脳卒中死亡率とよんでいるが)少なくなり、血圧水準も低いことが認められた。それから次々と展開された研究、それと共に知り合った人々、できごとなど・・・

 そして水田の向こうに岩木山がみえはじめ、弘前駅へつくのである。

”なが旅をおえ りんごのかおり満つ プラットホ−ムに立ちぬ”

(青森県医師会報,182,105,昭51.2.)

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