青森での生活は、冬をぬかしては考えられない。
20年一寸前、弘前で暮らすようになって、その冬への用意を、雪のきえかかる春の5月から、始めなければならないのには驚いた。
その時の気持ちが、写真1のシャッタ−をおさせた。
はじめて住んだ若党町の街なみに、次々とつみ重ねられてゆく”薪のたな”。これで、”三たな”か”四たな”だったと思う。そしてとても上質なものだった。
観桜会もおわった5月下旬、静かな街に、モ−タ−でまわるのこぎりのひびき。次々とスト−ブの薪に割られてゆく。それが軒下につみ重ねられて、冬を待つのである。
わが家では、薪スト−ブからはじまって、色々のスト−ブを用いてみて、冬暖かく暮らす工夫をしたものだ。
ところが、近郊の農家をおとずれて、”いろり”の生活に印象ずけられたのが写真2である。
高橋英次先生らと、部屋の温度環境を調査し、一人一人の血圧を測定し、スト−ブで生活している人たちと、いろりで生活している人たちの血圧を比較したりした。その成績は、高血圧と住生活、とくに温度環境との関連を示したわが国ではじめての論文になった。
これは弘前市狼森の一農家だが、20年たった今はもうこんな家はない。
春になると、”雪きり”がはじまった。写真3は弘前公園の前の、たしか東奥義塾の角の道路であった。
昭和29年から30年にかけての冬は十年ぶりの大雪だったとかであった。
道路のアスファルトも半年ぶりで顔を出した。
この時、つるはしを手に”雪きり”をしていた人が、雪はお金にかたまりにみえるといった言葉が忘れられない。
弘前市医師会報100号を記念して、記録としてとどめておきたい。