もしもいつか、あなたがイギリスのロンドンに行くことがあったら、John Snowの”Broad Street Pump”のあとを見に行くことをすすめたい。
その場所は、現在のBroadwick St.W.1. にある。なんの変哲もない街の裏通りの、家と家との間に白い樋があるところに、小さなハメコミ板があって、そこには次のような文字がしるされている。
”THE RED CRANITE KERBSTONE IS THE SITE OF THE BROAD STREET PUMP MADE FAMOUS BY DR. JOHN SNOW IN 1854”
そして、その前の石だたみの道のふちに、ちょっと赤茶けた石があるだけである。
今から120年前の、スノ−(John Snow)が行った研究といった出来事は、大ロンドンの歴史の中では、ほんの一頁にすぎないことだろうけれど、私には、とても大きな存在に思えるのだ。
「私はこれをみるために、はるばる日本からやってきた」と、通りかかった老婆に、その石を指しながら、感激して語りかけたのだが、彼女は、ちょっとけげんな顔をして、コツコツと歩いて行った。それは丁度10年前のことであった。
弘前大学へ来て、今日的表現でいえば、「脳卒中・高血圧の疫学的研究」にとりかかっていたので、、「疫学の原点」「近代疫学発祥の地」ともいえる研究の対象となった場所は、みる価値があると考えたのである。
すでに講義で聞かれたことと思うのだが、コレラと称せられる疾病がインドからロンドンに入ってきた当時、一般にはその病気の原因は、「患者から放散する毒気を吸入するため」と信じられていた。1883年コッホによってコレラ菌が報告される30年前の話である。スノ−は「患者の腸管排泄物中に含まれる、自ら増殖し、最初と同一のものを次第に造りゆく物質が、主として、飲料水を媒体として、人から人へと伝播するものであること」を信じ、彼の見事な、”疫学的研究”によって「コレラの伝播の様式に就いて」推定し、その汚染源となった井戸を撤去するという対策を立てることができた、その井戸のあった場所なのである。
後日、ジョンス・ホプキンス大学の初代の疫学教授になったフロスト(W.H.Frost)が、彼の業績を再版して配布したので、今日読むことができるのだが、フロストがその紹介に述べた次の言葉も忘れてはならない。
”EPIDEMIOLOGY at any given time is something more than the total of its established facts”
「疫学」は欧米でいわれている「EPIDEMIOLOGY」に相当するものとして用いられているが、それぞれどんな語源があるのか調べてみたことがあった。
Medical Etymologyの本によると、epidemicとは”Gr.epidemos;from epi=upon, and demos=the people,.Used both of diseases and of a visitation by king and his court”とあった。
一方「疫」の起源は、「病」は「人の牀上に在るの形」であり、「疫」は「役」で、「疫は役で、鬼の行役」「巡行」の意をあらわし、「疫は疾の流行」とあり、人々が相次いで病気にあることとあった。
これらは歴史的背景の中で生まれた言葉でありながら、東西共に極めて似た内容をもっていると考えられ、それぞれにロゴス、学がついて両者同じに用いられている。
しかし、この疫学の内容は、時代と共に変化している。それはその対象となる人々が生まれ、育ち、死んでゆく過程で、いろいろな問題をもちながら推移してゆくからであろう。
アプロ−チという言葉は、近頃ゴルフに用いられることから一般化したようである。「接近」と訳され事が多いが、アプロ−チでも通じるようになった。
ゴルフの場合、アプロ−チとはテイショットをすませたあと、グリ−ンに向かって接近してゆき、オンするまでの過程をいう言葉で、グリ−ンにオンしたあとはパットという。
健康問題がうかび上がってきたことは、すでにテイショットがすまされたと考える。
問題Problemの”P”の把握は公衆衛生の第一歩である。その問題が正しく把握されていれば、その問題の解決は半分はすんだともいわれる。ゴルフでもテイショットで、グリ−ンにワンオンし、ホ−ルインワンすることもあるのだ。
さて、そのアプロ−チであるが、これは歴史的にいっていろいろなアプロ−チがあったし、それぞれ成功をおさめてきたといえる。では疫学的アプロ−チとは何か。今までのものと違うところは一体何であろうか。
基本的に一番違うところは、一人の患者、あるいはその人の中の部分に目が向けられていたのに対して、疫学は、人々が研究の対象になった点であろう。
デモス(ピ−プル)が対象であり、疫学が公衆衛生の診断学といわれる所以でもある。
公衆衛生のもとの言葉のpublic health の「public」と「公」の理解は極めて重要な点であることを指摘しておくが、ここではふれない。
人々を相手にするということから、J.N.Morris(Uses of epidemiologyの著者)は”Epidemiology is the study of helath and disease of populations and groups”と定義し、疫学をcase/populationで表した。またB.MacMahon(Epidemilogy principles and methodsの著者)は、”Epidemiology is the study of the distribution and determinants of disease frequency in man”ともいっている。
国家試験の問題によく人口動態統計上の指標の定義とか数値がでてくるのは、ここに意味があるのである。
人々の中の疾病異常、最近では「健康」までも、その姿を正しく把握するために、疫学上で最も大切なことといわれるものは、「分母の把握」であり、「分子の選定」である。
分母は人々であるが、分子になるものの危険の可能性をいつももっているという意味から、”population at risk”といわれることもある。そして疫学調査の調査対象がどんな集団にぞくするものかはっきりしておかなくてはならない。アメリカ人につぃて行った疫学調査結果はすぐ日本人のものとはいえない。その意味からいって、疫学は”ナショナリズム的””地方的”である。
分子の選定で大切なことは、分子にあたるものの定義、診断基準をはっきり決めておかなくてはならないことである。
疫学につぃて最も大きな誤解として感ずることは、いいかげんなものを沢山集めれば疫学になると考えられてはいないか、という点である。
私自身が疫学的アプロ−チをしてきたものは、コレラ・ビブリオがみつかる前、胆汁の色を失い米のとぎ汁のような下痢便をする人々が多くロンドンに出たとき、スノ−(John Snow)が市民の中に入りこんで、一人一人症例を検討してまとめ上げたいったように、この東北地方に「あたった」という言葉で言い表わされる病人があり、若く働き盛りに「びしっとあたり」「どたっとあたって」死亡する、そんな例にアプロ−チしていったのである。そして患者の血圧はわかっていたが、人々の血圧がわからない時代に、病院・診療所・研究室から出て、血圧計をさげて人々の中に入っていったのである。