弘前大学医学部は昭和19年3月に青森医専として青森市にて発足、昭和22年に弘前市にその居をうつしてから昭和23年医科大学となり、昭和24年に弘前大学に包括され、昭和26年に医学部が設置されて以来今日におよんでいる。高橋英次教授によって青森県にはじめての衛生学教室の基礎がおかれその後10年のあゆみによって、研究に教育に着々実行にうつされた様子は、教室業績第1巻(昭和29年)、学生実習成績に明らかにされ、本誌1巻4号に紹介の筆がとられている。昨31年9月に高橋教授が東北大学へ転出されたので、助教授であった小生が昇任、教室をお引き受けした次第である。
まず最初に考えたことは、どのように教室を運営してゆこうかということであった。そして三の大きな柱を考えた。それは教育・研究、そして社会への奉仕である。これが一つかけても地方の大学の衛生学教室(現在1講座であるので実質的には衛生学公衆衛生学教室といった方がよい)の責任をはたすことはできないと思ったのである。一人三役はいかにもつらいが、又努力のしがいがあるところであり、又努力しなければばらばいと思っている。
衛生学公衆衛生学教室の一貫教育が1年から4年まで280時間行われ、4488時間の全講義時間数の約6%である。これは1講座のスタッフの行える教育としてはあまりにも重荷であるが、現在できるだけの努力をしている。まず1年の1学期に受入側の頭のまだ新鮮なときに、公衆衛生をたたきこもうというわけである。この点こそ一番大切な時間で、公衆衛生の大先輩達の人間的な魅力に遠くおよばない自分を感ずるときでもある。1年から2年にかけてのいわゆる衛生学は、もっぱら実習にきりかえた。4,5名づつの小グル−プに分け、実際に物にさわらせ、課題を与え、実習させている。一番人気があるのは計算器だが、これも数に制限があり、数十項目に分けられた過程を順に交代にやって行くことになる。必要な図書はそばに置き、スタッフ全員で質疑に答え、指導を行っているが、ここでも教育を充分にやろうと思えば、人手の足りなさを感ずるのである。しかし教育の方法としてはこれが最上と信ずるが故にあえて行っている次第である。2年の夏休みを中心に衛生学公衆衛生学の自由研究が行われる。講座費も大いにさき、自分が選んだ課題を研究させるのである。夏休みともなれば教室に出入りする学生が急にふえるのも例年のことである。その結果はレポ−トにまとめ、3年にかけての講義の時に各自発表させ、討論・批評を行っている。出来の良いものは、選んで学生実習成績にプリント記録しておくことにしている。3年に入ると人口動態、疫学が講義されるが、社会医学的研究が同時に行われる。臨床各科と同じように、2週間に亘って、保健所で選ばれた患者について家庭訪問し、野辺地慶三教授の例にならい社会医学的考察を加えさせ、近くの弘前保健所で、所長さん保健婦さんをまじえ発表・討論を行っている。ここで得られた体験は、前の自由研究と同じく長い学生生活の中で忘れられぬものになることであろう。4年の終わりには、日本一長い名前となり、一段といそがしさを増された衛生民政労働部長の跡部講師に御足労ねがって、その道のエッセンスを講義して戴いていることもつけ加えなければならない。その他に2年に1回の割で、中央の公衆衛生施設の見学旅行が行われている。これも地方の大学として欠くことのできない行事の一つであろう。広く世界をみ、他の大学の活動状況を知り、或るものは建物の立派さや設備の充実に目をみはって、自分の学校へ帰ってきたとき、施設や物の偏在を知り、こんなところで教育されてよいものだろうかと一抹の不安を感じさせることにはなろうが、それを動かすものは人間の頭であり、問題は人であることをみとってくれ、次の時代を背負うべく勉強している平均年齢の若い教授達の心からの教育に人間的な情熱を感じ取ってくれれば幸いであると心から祈っている。
ややもすれば都会的な色彩の強い教科書的な内容を、農村生活をしている人たちをめぐる実際の問題に温情をかたむけてながめるだけの目をやしない公衆衛生の向上に一歩でも役立つ医師となってもらうことを念じているのである。
一言でいえば学校が水田やリンゴ園にかこまれてその中に立っていることから農村衛生ということになる。農村衛生というとそれは結局人の一生の問題を含んでいることになる。環境衛生の不備、労働衛生、食生活、住生活の不合理性、そのあらゆる影響下にある人間の不健康さが問題となる。結核あり、トラコ−マあり、乳幼児の死亡率が高い点あり、それらは研究というより、何故におくれているかという点は公衆衛生上問題かもしれないが、すでに分かっていることが実行にうつされていないことが多いように思われる。
われわれが特に取り上げているのは、東北地方における脳卒中の予防で、これによる死亡の多発を何とか予防したいと考えていることである。統計の教えるところによれば、東北地方に特に脳卒中が多いことは明らかであり、それも若い時代からその危険度が上昇していることに問題がある。これについての具体的な研究題目、その結果については、近く本誌上に発表する予定であるのでくわしくはふれないが、要はこの地方の住民の血圧が子供の時から高いレベルにあり、それが食生活、住生活の影響を受けていると思われることなのである。高血圧症のような慢性的な症状のあらわれは、人間の生活の仕方が問題になると思われ、その点になると現代の医学があまりふれていない点であり、そこがわれわれのねらわんとするところでもある。それは生活の仕方、どんな生活をしていったら健康であるかの健康の原理を考えてゆくことに、われわれの公衆衛生上の研究の向かうべき路があると思っている。
研究の第一は東北地方住民の高血圧ないし脳卒中の予防に関する研究である。その他前からやっていたCO中毒の研究がある。これは同じ社会医学系の部門である法医学教室と共同で研究を進めている。又歯科の専門家のいるところから、口腔衛生に関する問題、特にう歯の疫学を手がけている。
健康生活を送るために何をなすべきであるか、という問題について日頃考えていることはあまりあるとはいえない。ここでいう健康問題とは疾病以前の問題である。ところがそれに対する一般の要求は日々増しているといわなければならない。幼稚園、小学校から大学に至るまでその道の専門家のいない地方では、われわれが引き出されことは明らかであり、又要求も多い。日々保健体育の講義、講習会、保健に関する研究会、学校保健、保健婦、栄養士等々の研究会と、公衆衛生の立場は、あらゆる機会にあらゆる機会をとらえて衛生教育することにあるのだから、できるだけ足をまめに出かけている。労働基準監督署関係のことだけでなく、これがさらに一般の町村の生活改善運動の促進とからみあって、大は00市建設審議会とか村の健康診断とかで、山奥の村まで出かけ、万年床を横目ににらんで村人と語り合うとき、それが少しでもお役に立てばと思っている。
青森県内の又一部秋田県の保健所と教室と連絡のうまくいっている点については前から伝統がある。お互いにもちつもたれつ県民の健康の増進に寄与しなければならない。2週間に1回開かれる教室の抄読会には、近くの保健所の所長さん達は、わざわざ出かけてくださって公衆衛生よも話を話あっている。もっともっと広く保健に携わる人たちの集まる場所を提供しなければならぬと思っている。いつでも集まれる場所となり、必要な図書や雑誌はあるという場所が、大学の中にあることは良いことに違いない。
大分良いことを書きすぎたうらみがある。これには新しく教室を発展させてゆくための希望が入っているようだ。むしろ自分自身をむちうつことになりそうである。しかし地方の大学として、その地方の公衆衛生の向上にすこしでも役立つ医師をつくり、又社会の要求にこたえてゆくにはこれ以上に努力されなければならない。現在教室員は教授1、助教授1、講師1、助手2、研修員7である。この定員そして1講座ではいつかは車はからまわりはしないかというおそれがある。いつかは力はつき、おのれの小さい殻の中にとじこもった教室になるか、教育・研究そして社会への奉仕が充分行える教室になるかは今後の問題であろう。