弘前大学医学部衛生学教室には、今はもう90冊に近くなった写真アルバムがある。その中で、石郷岡先生のをひろってみた。
写真1 昭和30年9月2日、黒石高校で開かれた第9回青森県学校保健大会でとったのが最初であった。
私としては、弘前の石郷岡先生ということを意識してシャッタ−をおさせたのであろう。
「血圧が高いから、これが最後のアルバイトになるかもしれない・・・」と写真のそばに書いてあるのをみると、当時から血圧が高いことを気にしておられたのではなかったか。アルバイトとは、勿論先生が大正から昭和にかけて長年手がけてこられたトラホ−ムの問題で、後ろの協議題の中に「トラホ−ムの校内治療促進について」とあるところをみると、地域社会としてもう一押しと考えられていたトラコ−マの対策について述べられた時のものと思われる。先生のトラコ−マ有病率の資料は貴重なものであるが、その時のスナップ又貴重なものと思うのである。
この日、高橋英次教授の「地域社会と学校保健」の特別講演があり、教室として、疲労、環境調査に関するデモンストレ−ションをやった。黒石市の三百年祭、夏祭り、産業博覧会とかさなって、大にぎわいであったと、教室日記に書いてあった。
写真2 昭和31年2月23日、弘前市立二中で、学校保健研究発表会と講習会が行われた時、特別講演をされた高橋英次教授と一緒のもので、アッハッハと笑われた時の横顔をスナップしたものだ。当時、脳卒中と高血圧の研究をはじめたばかりのことだったので、写真のそばに”APO”(医師のいうあたり)にご注意と書いてあった。頸の太いのが体型からいって、そうみられたのであろう。
この時の同じアルバムには、弘前での保健主事や養護教諭の大先輩の方々の顔が写っているのがあって懐かしい。朝陽小学校の浅岡先生が発表しているのがあって、「座高三角法でやったのですが、学者と私達との勝負は明らかで・・・」とけんそんした言葉が書き添えられているのがあった。二中の割烹室をみせてもらったのもあって、天井は低く、炭火のコンロがおかれているのも、スナップされており、CO中毒のおそれがあると書かれている。武田君と一緒に傍聴させてもらった時のものだる。
写真3 昭和31年高橋教授のあと衛生学教室の主任教授となったので、自然学校保健の方々とのおつきあいも多くなり、33年9月6日に十和田市で開かれた第12回青森県学校保健大会によばれて出席した。その時同宿させて戴いた時のスナップで、鈴木逸太先生、北畠栄太郎先生と三人の姿である。もう一人大塚貞夫先生のもあった。この時はじめてマ−ジャンのご指導を受けた。
青森県の、又弘前市の学校保健の基礎をきずかれた先生のスナップをわが教室のアルバムにとどめておくことができたのは幸いであった。