”フランクリン、山口百恵、そして教授の誕生日”
教室での昼飯のとき、クイズ番組をみながら”一寸、フランクリンの誕生日を知っているかい”と口をはさんだ。
小さい時から知っていた問題を出したのだが、その日が1月17日とわかると、即座に”百恵ちゃんの誕生日”と答えた女の子がいたのである。
”では、来年の17日は、土曜日で日もよいし、どこか家族づれで、新年会をやりましょう”ということになって、この会報のでる頃には、三沢の古牧温泉で、皆して歌でもうたっていることだろう。
”来年の(酉年)の年男を対象に選んでみました”と朝倉兄からの原稿依頼である。
時のたつのは早いもので、もう一まわりになってしまった。一昔なら、赤いチャンチャンコを着せられて、といったところだ。
昭和29年に弘前に来たのだから、人生の大部分をこの土地で送ることになる。おまけにこの3月に、大内・臼淵・檜山の諸先輩を送り出すと、医学部では、大正生まれグル−プのトップをはしらなければならない。
鍛冶町で飲んでいたら、”先生、どうして、髪をのばされたのですか”と聞いてきた。
”ううん、うすくなったのをごまかすためさ”と答えてはみたものの、同年輩や教え子ともいえる先生方に、時にはひがまれ、時には先生もすくなくなったと安心させているのではないかと思うこともある。
塩は少々と、たばこはやめ、りんごを食べ、ゴルフをやり、衛生学の実践のためか、いつも若い人と接する機会にめぐまれるという役得のためなのか。だが、年相応がよい。
この点、アメリカ人は率直だ。先日弘前にやてきたキャネル教授の奥さんは、私に同じ質問をしてきた。
”to cover・・・”と、とっさに次につづく適当な言葉がうかんでこなかったら、”to cover up the bald・・・”と”はげ”とか”うすい”と受け取られる英語をすかさずさしはさんできて、ニヤッと笑いながら私にかわって答えてくれた。十和田湖へのドライブの車中でのことであった。
ああ、もう字数がない。この辺で筆をおくことにする。