昨56年の夏、ヨ−ロッパへ”塩の旅”をすることができた。
音楽祭でにぎわうザルツブルグは”塩の城”であり、ザルツアッハ河に沿って、昔塩の取引にさかえたところという、オ−ストリヤのこの地方一帯には、大昔地球ができたとき、海水が蒸発してでき上がった岩塩の鉱床がある。
近くのベルヒテスガ−デンの鉱山は観光名所になっていたが、中世に塩をとりはじめ、馬車ではこび、舟ではこび、ヨ−ロッパ中に”塩の道”をつくっていった。バルト海のにしんの塩づけに用いられたのであろう。そして食物の保存できるようになり、人々が集まる中世の都市づくりが可能になったのではあるまいか。
主食のパンとバタ−に、いつ頃から塩が入りはじめたのであろうか。ザルツブルグのマ−ケットで普通売られているバタ−は無塩であり、塩入りのものは特製で、高価であった。
脳卒中と虚血性心疾患が多いフィンランドでは、疫学調査によって明らかになったリスクファクタ−の改善に、積極的にとりくむ介入研究が9年目を迎えていた。12グラムの食塩摂取を少なくするよう衛生教育が展開されていたが、MUIKKUという塩づけの小魚を死刑にという中学生の漫画の作品は、ヘルシンキのホテルの朝食にでていた、とても塩のきいた小魚と共に印象的であった。
オスロ−からベルゲンへのバス旅行の途中、農作物と塩との交易の場所もみた。
ロンドンタワ−の宝物殿は三度目の訪問であった。ダイヤモンドをちりばめた塩の入れ物と金のスプ−ンは、今度はじめてみたエヂンバラの博物館の角製の塩のスプ−ンと対照的であった。貧乏人は、木や角でつくった塩のスプ−ンをつかっていたという説明文が目にとびこんできた。