「味気のない」という言葉が、「とてもすばらしい」という意味にとられるような日がくるであろうか、とくに塩味について。
「湯水のごとく使う」が「とても貴重なものとして大事に使う」という意味に用いられている国がある。
日本のように、いたるところに豊富な水があると、その有り難さを忘れてしまうけれど、水が命のもとであることは、人間としてどこでも同じだから、水のとぼしいところでは、水はとても大切に取り扱われている。
「塩味」はどんなものであろうか。人は皆同じ塩味を好み、それにうまみを感ずるのであろうか。
電気生理学とか、味覚の閾値についての研究とは違った研究方法で、人の塩味の好みについて、客観的な証拠を求めたことがあった。
この20年で、東北の人たちの塩味の好みに変化がおこっているようである。
今この地球上に「塩のない」文化に住む人たちのいることがわかった。
生肉を食べることでエスキモ−といわれた人たちにとって、塩味とは何であろうか。すばらしいごちそう、うまみとは何であろうか。
われわれも、パプアニュ−ギニア、そしてフィジイ−と、日本とは大いに食塩のとり方が違うのではないか、その証拠を得ることができた。
普段の食事で、食塩の取り方を注意している方は自ら経験されると思うのだけれど、いわゆる味気のない、塩味のきかない料理が口にあい、本当の料理の味がわかって、むしろすばらしいと思うようになるのではなるのではないか。