”百聞は一見にしかず”とは、モスクワでの1週間の結論である。
6月20日から26日まで開かれた第9回世界心臓学会から帰って、緑陰随筆の〆切を知って、急いで筆をとった。
初めてのソ連滞在ということもあって、いささかの緊張もあったが、1週間も暮らすと、それなりの考え方、システムもわかって、若い人たちがシベリヤ鉄道で帰っていったのがうらやましかった。
ソ連の医師達と知りあったことも収穫だった。疫学の会のファミリ−・デイナ−のあと、一寸はなれた地下鉄の駅から乗り換え、終着の私の降りる駅まで案内してくれた親切、夜の12時すぎ、数名の医師達と夜の道を歩いていたとき、先の方の男達と手をとりあい、肩をくみながら歩いてゆく美人を指しながら、「あれは私のワイフだ」といた若いドクタ−がいた。
学会最終の打ち上げには、おきまりの塩からいホテルの料理ではと、若いI君と連れ立って街に出た。
コングレスの日本人は、バッジのせいかすぐに受け入れられ、案内された。
何とそこには、若い美人が二人、すでに料理は食べおわったらしく、お茶をのんでいた。
片言の英語に話がすすみ、ロシアのバンドにおどりずきの人たちにまじって、リズムを楽しむことができた。
タクシ−で2分、私達の部屋に来いという。
「オクサン マイニチ ワタシ コンヤ」は日本語であった。
あのチャ−ミングな若い美人のすわる席が逆だったら、「先生は」とI君があとで言っていた。
家に帰ってこの話をしたら、女の立場から前の話は是非書いておけという。そてあとの話についての答えは「ロング、ロング アゴ−」であった。