美甘先生のこと

 

 父と子ぐらいに年が違い、学校も、医学の中の専門も違うのに、よくお付き合いいただいたものだと思う。

 若い人とよく話をし、広く物をみる見方の秘訣を、文章で、あるいは直接耳からお聞きすることはできなかったが、お付き合いいただいている中に、自然とそれは感じられて、本当に良い先輩にお近づきになれたものだと思う。

 たまたま日本心臓財団の評議員になったこともあったが、東京で開催された世界心臓学会の組織委員や学術委員となってお近づきになれた。

 青森や弘前にも、心臓財団の長生きの講演会、又日循協や日本脳卒中学会の総会に,度々足を運んでいただいたことが思い出される。

 青森市にある棟方志功記念館にご案内したところ、板画がとくに気にいられ、釈迦十大弟子のうちの二作品が、世界心臓学会のファミリ−・プログラムの表紙にかざられることになったのは、何かの因縁であろう。

 宴会の座の運び、女性軍の取り扱いもさることながら、部屋にさがられたあとも呼んでいただいて、”どうだこれは”と持参の銀製の入れ物からのポケット・ウイスキ−を戴いたこともあった。あのボトルは一体何年先生のおともをしたものか。

 青森県下北半島にある日本三大霊場の一つの恐山は、日本人の心のふるさとといわれ、”死ねばお山さ行く”といわれている。その恐山の宇曾利湖の極楽の浜を歩いておられた先生のスナップがアルバムにあった。飄々として歩いておられる先生のお姿にありし日を偲びつつ、ご冥福をお祈りする次第である。

(追悼美甘義夫,195−196,昭59.3.31.)

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