まばたき30年

 

 東北地方公衆衛生学会といったり、北海道・東北七県といったり、東北六県といったりしているうちに、東北公衆衛生学会におちついたが、私がこの会にはじめて参加したのは、昭和29年6月13日、第四回東北七県・北海道公衆衛生学会が、跡部青森県衛生部長を会長に、弘前大学医学部の南臨床講堂で開かれた時であった。

 青森県そして弘前市にもゆかりのあった野辺地慶三先生の「公衆衛生の動向」の特別講演と「乳幼児対策について」のシンポジウムが行われたが、慶應義塾から弘前大学助教授として来たての私は、近くの農村で行った「新農薬中毒の予防についての一考察」をはじめて発表した。参加者約150名で、すこぶる盛会であった、と教室日誌に書いてある。

 第六回の東北六県地方公衆衛生学会が昭和32年7月5日秋田市の日米会館で開かれたとき、脳卒中と高血圧の疫学的研究のはしりとして、その前の数年間の調査結果から、東北地方農村の血圧の高い村と低い村の比較研究について講演したが、終わったとき近づいてきた保健婦さんから、村の高血圧対策について相談を受けたのが縁になり、その後20年近く秋田県の西目村へかようことになった。

 仙台ではじまった学会が東北六県を一回りして第七回東北地方公衆衛生学会が昭和33年7月12日に東北大学医学部の中央講堂で開かれたが、その翌日東北地方の大学の衛生公衆衛生関係の教授懇談会が、作並温泉岩松旅館で開かれた。

 「家族計画」の招聘講演者の村松稔先生、長野県上田保健所滝沢正所長が特別参加をし、瀬木三郎、高橋英次先生はじめ、一泊して盃を交わした。北大衛生工学科にうつられた桑原麟児教授に記念として、一教室500円で、花瓶を贈ることに決めた。宿泊料1,200円で、この時セルフタイマ−で撮った写真が衛生学教室のアルバムにあった。

 この時以後この会を「みちのく会」と称することになり、いつも東北公衆衛生学会と一緒に開らかれることになった。

 そして20数年、多くの人たちと、ひざをまじえて語りあうことができた。

(東北公衆衛生学会30年のあゆみ,109−110,昭58.3.31.)

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