近頃では成人病というと、何となくわかったような気になるのだが、一体いつ頃から”成人病”という言葉が使われるようになったのか。
厚生省に保管されている、当時は丸秘取り扱いであった部内の書類をみる機会があったので、わかったことを、一寸書きとめておく。
昭和32年2月15日に第1回の成人病予防対策協議連絡会が開かれている。この時以来、わが国では”成人病”が公に用いられるようになったとみてよいであろう。
昭和30年頃、まだ問題の多かった伝染病の予防を含めて、がん、高血圧、心臓病などの慢性病の予防の調査審議のため、予防研究協議会を発足させることが考えられ、委員の人選も進んでいた。31年3月になって、防疫課所管の伝染病予防業務を除くことになり、、「がん、高血圧症、心臓病その他の成人病の予防」という規程案になり、5月には「成人病予防対策協議連絡会規定」がつくられた。昭和31年3月1日からの運用であった。そして翌2月に第1回の会合が開かれたのである。
正式の議事録のはじめに次のような応答がある。
佐々会長「成人病という呼び方や、その範囲に就て厚生省の見解をお聞きしたい」
中原技官「成人病とは主として脳卒中、がん等の悪性腫瘍、心臓病等の40歳前後から急に死亡率が高くなり、しかし全死因の中でも高位を占めている疾患を考えている。老人病とも大体同じ範囲のものといえるが、考え方としては老人は年をとれば死ぬのが当然なので40-60歳位の働き盛りに多い疾病を重点としたい。その他いろいろの事情から成人病という名称にした」
そして、がん部会と高血圧部会の二つの専門部会を設けて運営してゆくことになった。
この会のあと、3月30日には公衆衛生局企画課長から各都道府県衛生部長宛、成人病予防対策の現状を知りたいとの文書が出ているところから、全国的に”成人病”はあるきはじめたのであろう。