われわれの生活からみた健康問題

 昭和30年10月26日・弘前市教育委員会主催・弘前市千年小中学校で行われた

「地域の総合計画に立つ小中学校の健康教育研究会」特別講演

 本日は高橋英次教授のお話のある予定でございましたが、ご都合がありまして私が変ってお話を申し上げることになりました。日頃考えておりますこと、又研究の一端をお話し申し上げてみたいと思います。

 皆様は「地域の総合計画に立つ健康教育」というテ−マの下にお集りになったと聞いておりますが、このテ−マの見ましても健康という概念が非常に広く取り上げられているという感が致します。たしかに健康問題は広い背景をもち、それらにうらずけられるべきものであると、皆が考え出してきているのだという感が致します。皆様ご承知のように、W.H.O.の健康の定義は非常に広い意味にとられているのでありまして、このようなテ−マを取り上げられたというのは、誠に当を得たものと思うのであります。

 しからばわれわれの健康に関してどのようなことが具体的に問題になるのでありましょう。このような場合に私共のような研究者は、具体的な事実、自然科学的な事実としてこれをみてしまうのであります。医学の祖といわれるヒポクラテスは、神秘なベ−ルをはぎ、人間をその生活する気候、食物、そして水との関係において観察したのです。これは非常に大切な考え方であり、あまりにもめざましい近代医学の進歩にややもすれば忘れがちな点であります。そしてさらにパスト−ル、コッホらによって近代細菌学が発展してきてより、生物学的環境に対する認識がはじまったのであります。伝染病予防の原則は確立され、環境衛生という環境の改善が現実な姿として進んできたのであります。「さあ−・清潔だ健康だ」という本校の標語はこの認識を端的に表したものといえます。そして更に人と人との接触という、社会的な又文化的な環境の中に生活しているというのが今日の認識であります。そしてその根本には子は親に似るという遺伝の問題がよこたわっているのでありますが、今日の研究では遺伝は明らかではなく、例えば背の高さという問題をとってみても、食物を中心にした広い意味の環境的要素が非常に多く影響を与えていることを教えております。

 人生は産から始まって死に終わるといいます。ですから健康問題もこの間のことについて考えてみたらよさそうです。しかしこれをさらに自然科学的に考えてみるなら、受精の瞬間から、更にさかのぼって卵子、精子に対する影響から考えてみなければならないでしょう。前の時代のことが後世に如何なる影響をおよぼすかは、非常に重要なことと思われますが、まだはっきりしていないようです。少なくとも妊娠中の生活や色々な出来事が子供に相当な影響を与えるものであることは最近大分分かってきました。一番有名なのは,1941年グレグスが豪州で観察したという、妊娠中の母親が風疹にかかったために生まれた子供が白内障になったという例です。母親が梅毒であるとよく流産するというのは常識ですが、このほか栄養失調とか、さらには精神的な影響まで考えに入れなければいけないことがいわれてきております。

 さて生まれてしまったあとにはどんな問題が起こってくるのでしょうか。一番よく用いられているのは、どんな病気にかかり、どんな病気で死ぬのかを観察することです。そして乳幼児期には特に死亡率が高いことが分かり、小学生というような時期には殆ど病気をしらず人生で一番健康な時であり、、死ぬといえば大半が事故で、そのために安全教育を充分やらなければならないとか、青年期になると結核が目立ってき、壮年老年期になると癌とか脳卒中の心配をしなければならないことが分かるのです。このような方法で人間の健康をみた場合、世界は、日本は、又青森県では、又その中の町や村や部落では、どのようになっているのでしょうか。統計の示すところによると、世界のうちで進んでいると思われる国に比べると、日本は大変おくれ、その中でも青森県は色々な点で衛生状態が劣っていることが分かります。一言でいうならば、日本や又特に青森県では現在の医学の教えるところに従えば、かからなくてすむと思われる病気が多いし、そのために死んでいるのが多いのです。しかも興味のあるのは今から100年も前の状態に比べてみるなら世界中でどこでも、今考えてみて、こんな病気で死ななくてよさそうだというような病気に悩んでいたのです。それがどうしてわが国だけおくれをとってしまったのでしょうか。又どうして進んだ国があるのでしょうか。これこそ本日のテ−マの「地域の総合計画に立つ健康教育」にみられる考え方が意味をもってくるのだと思うのであります。

 例えば英国においては今から100年も前に、丁度今我々が悩んでいるようなことを論じていたのです。「家屋には便所がなく、又家屋のまわりにある下水道には、おおいがなく、その中の下水は貯溜して悪臭を放っていた」とは当時の社会の衛生状態を明らかにした委員会の報告書の中にある言葉であります。そして最も重要なことは社会全般がこの問題の重要性を認識してその対策を実施すいるという世論がおこったことでありました。そして当時次第に明らかにされてきた予防医学の原理を集団に応用することに成功してきたのです。一方我々はその生活の中に、窓をつけてはいけないとか、天井をはってはいけないという問題もあったし、何が健康をおびやかすのかも知らずに生活してきたのです。

 さらにもう一つ、健康な生活を送るために近代的な技術が必要だということです。

前に予防医学の原理を集団に応用したと申しました。この考え方が大切だと思うのです。世の中にはよく自分は生まれてから医者のやっかいになったことはない、ねたことも、薬をのんだこともないことを自慢にしておられる方があります。そのような方は誠に結構な方だと思うのですが、そのうしろに多くの人たちが悩みや、苦しみ、死んでいることを私共は知っているのです。前に一寸健康診断をしておればその苦しみはないはずであったと思うのです。勿論すぐれた医療が必要なことは申すまでもありませんが、その前にすべきことが沢山あり、そのために成果が上がっていることはわが国でも方々に見ることができるようになりました。

 ではどうしたらそのような成果を得ることができるようになるのでしょうか。ここにおられる鳴海康仲先生のような偉大な指導者のおられるところは幸福であります。そして実際に成果が上がっていることをお聞きしております。しかし全部にその人を求めることは現在は不可能に近いといわざるを得ない状態であります。基本的には健康に関する教育に関する教育が、知識が必要であります。ここに健康教育の目的もあるのだと思います。

 次にはその知識からわいてくる悩みや、問題の提出であります。そして皆でそれを解決して行こうとすることであります。実際にはその話を持ち出し、相談する保健婦なり養護教諭の活動がものをいってくるものなのです。この点でも青森県は全国に比して遅れていることは残念なことです。唯それに気がつかず、以前のままの生活をしているうちに、進んでいるところと、遅れをとったところの差がますます大きくなってゆくことを残念に思うのであります。

 ここで2,3スライドをお見せしながら、われわれの生活の中にどんな問題があるかを私達の研究をもとにしてお話ししてみたいと思います。

 寒さと生活。 冬の生活にからむ問題。これは高血圧、脳卒中に関係があると思われます。冬の栄養問題、特にビタミンCについて考慮されなければなりません。

 労働に関係したことの一つは、最近用いられてきた有機燐製剤には新しい疾病予防の技術を取り入れなければならないと思われます。

 私達の研究はこのように、生活の中に色々な問題を具体的につかみ、普遍的な事実としてつかみたい、そして疾病の予防の原則をつかみたいと思っておるものであります。例えば高血圧にしても現在は本態性という名の高血圧であり、その原因も予防もその方法が確立されておらないのが現状であります。しかし、事実として東北地方の働き盛りの方々の危険は他に比較して多いのであります。これは大いに研究されるべきものであると思います。

 すぐお役に立つとは申し上げられませんでしたが、このような問題がわれわれの生活の中にあること、それは解決せらるべきものであることをご理解いただきたいと思います。しかし、先ほど申し上げましたように、われわれの目の前にはすぐにでもとり入れられてもよいものが沢山あるのであります。色々な伝染病など、予防できる病気は沢山あるのです。そして伝染病予防時代というような前世紀的な問題からはなれて、よりすぐれた健康問題を論ず世の中に早くなりたいものだと思います。

 私たちはわれわれの生活をどちらかというと自然科学的な環境から分析してまいりました。しかし勿論われわれは社会的な、文化的な環境の中に住んでいるのであります。私はこの地方に、奥さん同伴の同窓会が各家もちまわりで開かれていることを聞き、大変うれしく、又うらやましく思いました。このような環境の下で、子供達は幸福でなければならないはずであります。皆様がすぐにお気付きなっておられますように、総合的な立場から健康教育を行い、新しい技術を入れてゆくことによって、さらによい社会がきずき上げられるものだと思います。

(弘前市教育委員会:指導年報.弘前教育,192−196,昭30.)

もとへもどる