先日家内がお産をしたときの話です。
上の子は東京の友人の産院で、今度は大学の病院でお産をしたわけですが、その時手伝ってもらった家内の母から聞いた話なのです。
この東北地方で、一昔も二昔も前にお産をした時の話ですから、現代の私たちから考えると、おどろくべき事が多いのです。まず家のたたみを上げて、米だわらを体の両側において、ふんばっていたといいますから、その時の様子が想像されます。大層な仕事をしたといって、おもちをいっぱいたべさせてくれるのはよいとして、そのあと一ヶ月もの間、おもゆにうめぼしだけだったといいますから、さぞお腹がすいたことでしょう。
東京で翌日から普通のごはんに、おさしみや肉がついたときには、さすがの母も目をまるくして家内のお皿をとってしまったのも当然な気持からでしょう。
しかし昔は道を歩いてくる人をみれば、一目でお産をした人かどうかは、すぐ分かったといいますから、今日のようにいつお産がすんだかのような顔をしているのをみれば、やはり今日風の方が、体のためには良いことが分かるようです。しかし冷たい水は体に毒だといって、孫のおしめを洗ってくれた母は有り難く思いました。充分な栄養、そして色々な刺激を受けないようにすることが、、妊婦のために、子供のために良いことだとは、現代の科学が教えてくれることなのですから。
「新しきもの古きもの」これはパ−ル・パックが、古き歴史をもつ中国を舞台に、新しい西洋のいぶきを色々と思いなやむ婦人を主人公に書いた小説の題です。
多くの子供を生みながら、子供の世話をみんな産婆さんにやってもらった母が、孫にうぶゆを上手につかわせている自分の娘をみて色々と考えさせられたことが多かったことだと思います。