公衆衛生イロハ

 

 イツ酸化炭素中毒というと個人衛生の問題といった方がよいかもしれない。でもこの方面の研究を長年やっている自分には、いの一番にあげたくなるのは人情であろう。一酸化炭素中毒は別名CO中毒というが、空気中のCOが呼吸により肺に入り、赤血球中の血色素(ヘモグロビン)を中心に、酸素とCOがついたりはなれたりする有様は、嫁一人にむこ二人といったそこいらにある三角関係と一寸にた事であってなかなか興味のあるところである。それでいて生化学的には不明な点がまだあるのでこれからノ−ベル賞級の業績がいつ出るかと考えられるのである。

 公衆衛生的にいってCO中毒の問題は、まず環境中のCOの存在の認識から始まる。かってクロ−ドベルナ−ルがはじめてヘモグロビンとの関係をみつけてからすでに100余年たち、わが国にその知識が輸入されてから70年たっている。わが国で最初に取り上げられた炭火中毒の研究で、炭火で部屋の温度を上げようとすると、COの蓄積を来たし、温度上昇4度CですでにCO中毒の危険があると結論づけた研究が、私の生まれた頃発表されているのである。そのCO中毒の認識がまだ常識化されていないところにこそ、公衆衛生上の問題がまだあると思うのである。

 文豪ゾラが1902年安眠中頓死したのもCO中毒によるといわれている古典的事実だが、昨31年の有名な大三沢の心中事件や、近くは八戸で船内で炭をたいたため漁夫二人が死亡している。こんな死亡例がまだまだ毎年くり返されているのをみれば、死にはしないがその一歩前の死にそこなった人々、又慢性にCO中毒におかされている人々は、まずこの北国に広く存在していると考えてよい。大学の教授が会議室に集まって炭火に暖をとっていたくなった頭をたたきながら、どうも昨日はのみすぎましてと平気な顔をしてすましているのを見れば、世の常識の程度が分かるというものである。「ライムライト」のファ−ストシ−ンにあったような危険があるからといって、ロンドンではガスはだんだんと取り去られてきているという世の中に、ようやく青森、弘前とガスが入ってきて近代化されてきた今日この頃、CO中毒への新しい警戒の目を向けなければならないのである。

 

 ロンドンの霧、霧の中からうかび出た愛しいビビアンリイの面影にロバ−トテイラ−が思い出にふけるのは映画「哀愁」のファ−ストシ−ンである。わが国でいえばさしずめスキヤ橋の霧の中、春樹真知子の出会いということになろうか。

 近頃東京では霧がよく出るという。なんのことはない。冬になって暖房に使う石炭の煙が街にただよって、スモ−ク・フォッグならぬスモッグが立ちこめているのである。このスモッグという英語があれば、その辞書は新しいものと思ってよい。これが所謂公害問題として市民に喘息をおこさせ、死亡率を高め、都の役人をして、ばい煙防止条例をつくらしたのである。係りの者がリンゲルマンばい煙濃度表を片手に、煙突から出る煙の黒さを計る時代となりました。

 がこんな条例が青森に必要であろうか。新興都市八戸ならいざしらず、およそ煙突のない弘前では、まずその前に自らの家の中に目を向けよといいたい。この地方の家へゆけば、たき火の上のヤカンのかかった自在かぎの上に目をやれば、幾年とつみ重なったかもしれないススのついた天井が、黒びかりした梁の中にあるのが気がつくであろう。煙に無関心な人がスト−ブをつければ、白壁も一年で真っ黒に変わる。だから部屋にはスト−ブはつけませんという人もいるのだから。冬暖房によって部屋の空気がよごされているのは事実であろう。

 北国、寒さ、暖房と三段論法でゆくなら、われわれは絶えず部屋のよごれた空気を呼吸する運命にあるといわなければならない。所謂発癌物質が、われわれの肺の中に飛び込んでいないとは誰が保証することができよう。

 

 ハエとりデ−・ハエをとりましょう。こらは数十年前、衛生行政が内務省で行われていた頃の標語であった。あったといいたいところだが、まだこれが近頃の公衆衛生の標語として用いられているのをみれば、公衆衛生の進歩も遅々たるものであることが感じられる。

 「ハエは誠に愛しい動物である。私は限りなく彼に愛着を感じる」とは消化器系の伝染病のない国の詩人のたわ言である。赤痢が年に10万人も出る日本では、伝染病流行の原則からいって、彼の小動物ハエは伝染源とわれわれの口に入る食物との間に病原体を運ぶ媒介物としての汚名をきせられざるを得ない。

 近頃新中国へ旅行した人の話では、「ハエが一匹もいなくなった」「いやハエを何処そこで見かけた」と、いやはや、大変なことである。かって中国へ旅行したことのある自分には真っ黒にむらがったハエを追いながら飯を食べた経験や、汽車で向かいあって座った中国人が自分の目の結膜にハエがたかっているのも気にとめず、追おうともしない大陸的感覚に、圧倒された事などは今はなつかしい思い出である。

 新生活運動がハエとり運動から始まって鶏は余計卵を生むし、豚は太り、牛は乳をよく出すようになったとは厚生省の宣伝の文句だが、まず手近なところから始められたのはよい傾向である。ハエの一生の生活圏を詳細に検討するなら、便所の廻りの土の中にひそんでいるサナギを撲滅するのに今ごろが一番よいとの事である。生活改善モデル村の某氏が客の前でハエをハエたたきで打ち損じたいいわけに「近頃ハエを打ちなれていませんので」といった事を冗談にしておかないことこそ望ましいのである。

(弘前大学新聞,昭32.1.29.)       

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