健康のしくみ、とくに食習慣との関連について

(昭和48.8.29.東日本学校給食研究集会特別講演より)

 

 このような記念すべき会に、特別講演の機会を与えられまして、大変その責任の重大なことを感じているわけです。

 日頃反省しておりますことは、教授として研究をやっておりますと、とかくその知識がかたより視野が狭くなっているのではないかということでありますが、これまた一つの特性ということでありましょうか。今日のお話にも関係があると思いますが、自分のやっていることはしゃべれるけれども、他人の受け売りは出来ない。

 教科書に述べられているものは極めて人格円満で、その時代の常識をまとめられたもの、ということになると思いますが、そのようなお話はとても出来そうにもありません。しかし20年近く色々やってきておりまして、日頃考えておりますことを申しあげることによりまして、その中から皆さんが参考となることを汲み取って戴ければ幸いと思います。

 今日は、研究集会でありますが、研究とはいろいろな疑問から出発するという風にわれわれは考えているのであります。大先生の話したことが、そのままいつまでも真実であるということは考えられません。たえず前進していかなければなりません。そのような意味から申しますと、今日の話について色々なご批判をしていただき、また疑問を持って戴きたいと思うのであります。

 私は専門として衛生学の講座を担当しておりますけれども、衛生という言葉は古い方にはなじみのある言葉でありますが、最近の若い方にはなじみの少なくなっている言葉だと思います。医学生が学校へ入ってまいりまして、衛生という言葉からどのようなイメ−ジを持つかということを聞いてみますと、大体においては清潔であるとか、消毒とかいうような概念をもっております。外国においても同じであります。

その言葉の語源を辿ってみますと、衛というのは中国から来ている漢字であって、人の足跡が周囲をめぐっておりましてそれで衛(まも)るという意味があります。生というのは地面から芽が生え、そこに育ってゆくという、確かに「生命を衛る」というこれが中国の言葉のもとであろうと思います。

ついでに申しますと、医学の医は、現在簡単な字になっておりますが、昔の難しい字で申しますと二つの流れがあり、一方は、神々をこの地上に呼び寄せでそこに宗教的な、この辺でも病気になりますと神様にみてもらうという地方的な風習がありますが、そのような流れがあります。一方酒を中心としたもの、あるいは、薬を中心にしたもので、病をなおすというものがあるように読みとられるわけであります。

ところが外国では衛生という言葉は「ハイジ−ン」と申しております。これはもともと健康の女神「ハイジエイヤ」に象徴されるギリシャ人の一つの願いであったわけであります。よく引用される言葉として「健全な肉体に健全な精神が宿る」ということがありますが、これはこれで止まるのではなくして、そのようなことが望まれるという願望を表した言葉としていわれております。

 近く青森県で開かれる国体の標語の入選作が先日発表されましたが、その中で、中学生の作品といわれておりますが、「心ゆたかに力たくましく」という言葉が標語になっております。このような言葉が中学生から出てきたということも感激でありまして、これこそ我々の願いであり数千年来の願いであると思うわけであります。

 8年前にアメリカおよびヨ−ロッパへ参りました時に、ギリシャのコス島へ行きました。そこは現在の医学教育、日本の医学は西洋の医学を引き継いでおりますが、その祖先のヒポクラテスが医術を行ったところといわれておりまして、その遺跡をたずねることが一つ、もう一つは、そこの博物館の中に衛生の女神と称する「ハイジエイヤ」の像を見学することが私の目的でありました。

 このような健康についての願いがあった時代に、ヒポクラテスは医術を体系づけたわけであります。「人生は短く芸術は長し」と、やや日本的な解釈で引用されている言葉がありますが、実はヒポクラテスの言葉として、「人生は短く、医術は長く、機会は失し易く、実験は欺き、判断は難し」という一連の言葉が残っているわけであります。

そのような時代に医術が出来上がったとはいえ、一番重要に考えられていたのは「食」であったということを忘れてはならない事実であります。また同時に力たくましく、現代的な言葉では体育ということになりますが、そのようなものもあったわけであります。現在の健康問題の中には、数千年来考えられてきた原則というものがやや忘れられているようで、たえず反省するわけであります。今日の話は、はじめ総論的なものにふれまして、後半は各論として、私が日頃やっている問題にふれていきたいと思います。今日の主題である「健康のしくみ」ということを考えましても、この原則が昔から今まで変わっているわけではないと思います。

 

 地球上に何時生命が誕生したか、

 人間が取り入れる栄養

 調和 自然 フィ−シス

 健康問題の歴史  ヨ−ロッパ そして日本 伝染病 脚気  シビ・ガッチャキ  アタリ −−疾病構造の変化−−疫学−−

 

  3年前(1970年)ロンドンで世界心臓学会議がありまして、日本の実情を、特に食塩と高血圧との関係について話して参りました。

 その食塩の問題を2,3−−−

 

 一番最後に残る問題はわれわれの習慣であります。秋田県において、私は中学生からいろいろ観察しております。その中でみつけたことは、西目村というところで、幼稚園、小学校、中学校と一貫して学校給食を始めたところが、体格は良くなったのですが、血圧の方も良く前より低い水準になっております。このことは大変望みのあることでありまして、将来この子供達がそだって行く何十年後かに、今の秋田県の中年以上の方々がかかえているような若い脳卒中で死ぬようなことが、昔より少なくなるのではないかと期待を持っているのであります。そのような意味から申しまして、いろいろわれわれの健康の変貌に伴い、とくに食習慣に結びついての反省というものが極めて必要な時代になって来ております。その一つの例をお話しいたしましていろいろご批判を賜りたいというふうに考えるわけであります。

 (昭和48年度青森県教育委員会:東日本学校給食研究会報告書,17−22,昭48.) 

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