日本の、とくに東北地方の青森に住む人々の健康像を、過去から現在までの時代の変遷をおいながらながめ、将来への展望をしたい。
ここでいう健康像とは、生から死への連続的概念であり、人々の生活に則して、環境とその中に住む人々とのかかわりあいにおいて眺めることである。
自然の条件の中に住む人々の生活には、その地方なりの特色がみられる。
天候の変化、寒冷気団による「やませ」、その結果の「ケガツ」(凶作)もその例であろう。天明の飢饉ほか最近まできびしい条件の下に生活が行われてきた。住生活の中で人々の温度環境はどうであっただろうか。「さるけ」をたき、薪、木炭、石炭、そして石油へと燃料は変わり、生活上の温度環境は変化していったが、人々の健康にどのように影響してきたであろうか。
衣生活をみても、「こぎん」を生み、厚着の生活があり、毛皮が用いられてきた。子供は「いずめ」「えんつこ」の中で育てられた。「坐産」「すそ風」「すぐり」の中に、多産多死であった青森県も、最近は少産少死へと変化してきた。
「かでめし」の食生活、「バッカリ食」また精白米の配給制度のあと、従来の日本食から洋食への急激な変化がみられている。国際的に有名になった「シビ・ガッチャキ症」は今はほとんど姿をけした。
保存食による食生活は食塩過剰摂取をもたらしたが、その中で生まれ育った東北人は小さい時から血圧が高くなり、若い働きざかりの者の「あたり」(脳血管疾患、とくに脳内出血)をおこしてきた。輸入100年を迎えたりんごを食べる食生活は、高血圧予防の可能性を示す疫学的所見を示した。
コレラではじまった日本の伝染病も、東北地方とて例外ではなかった。生物学的環境とのかかわりで考察されるトラコ−マ、赤痢、腸チフス、小児マヒ、結核は最近までつづき、上水、下水、生活環境条件の改善、医療、予防の進歩、応用によって、よくなった。呼吸器症状有症率で示される大気汚染の程度は青森は他の汚染地区にくらべてとよいが、環境汚染からその健康障害に目をむけなければならない。
癌の死亡には特に変化は認められないが、相対的に目立つようになってきた。道路の改良・自動車の普及は近代生活の便利さを来したがその反面事故死が増加した。体力増進は今後の重要な課題である。
神教・仏教の流れをくむ宗教的な医療行為は、「かみさま」「いたこ」にみられるが、現代までつづいており、民間療法、医療についての行動にも青森としての特長がみられる。
「先生」といえば西洋医学を身につけて帰郷した数名の医師に対していわれたことばであった。青森医専が青森市にでき多くの医師を送りだして 30年。各地域に保健婦その他の医療関係の専門家が増加した。青森県民の一人一人の健康像が今後どうなって行くのであろうか。その人々の健康のために具体的に何をしていったらよいのであろうか。