「食塩を摂り過ぎると高血圧になる」とか、「高血圧の人は食塩を減らすとよい」という話はよく聞くし、もう常識のようになっていることのようだが、きびしい学問の世界では、だれもが認めている学説ではないようだ。
しかし、高血圧と食塩との関係は、大いに注目されていることは確かなのであって、だからこそ今度9月にロンドンで開かれる第6回世界心臓病会議の重要テ−マの一つとして取り上げられた「高血圧の成因」の中で、「高血圧における食塩因子」について私に話をしろといってきたのだと思われるのである。
外国にも高血圧の成因として食塩を取り上げ、実験的に証明している人はいるのだが、世界中、日本人ほど、特に東北人のように日常で食塩を沢山摂っているところはないので、一つ話を聞こうではないかということになったのであろう。
私が弘前へ来て十数年、この地方で”あたり”といっている脳卒中の予防についての研究から、そのもとは小さい時からの高血圧があるのではないか、と報告したのが注目されたのであろう。こうなると、私も日本の実情、そして東北の実情を話さなくてはならない。
人間は、自分が生まれ育ったところのことしか知らないのが普通だから、この東北地方に、”あたり”が若い時からあり、人々が高血圧状態になっていることをだれも不思議に思わなかったのだろう。
東北人のことを知るには、他の地方の人と比べればよい。日本人のことを知るには、外国人と比べればよい。これが近代的疫学的研究方法の第一歩である。
まず、この地球上の人々が一体どんな血圧を持っているかを、宇宙船にでも乗ったつもりで眺めることから始めなければならない。実際には、世界の各地で測定された、いろいろな人口集団の血圧値についての研究報告を集めてみた。
一般に原始生活をしている人の血圧は低く、西欧の文化人の血圧は高い。世界の人々の中で日本人は血圧が高い方にはいる。高血圧のことをハイパ−テンシヨンというから、日本人はまさに、テンシヨン民族である。
日本人の中でも、この東北人の血圧は高く、冬は寒い生活をして血圧が一段と上がることがわかったが、血圧のレベルでいうなら、東北人は世界一文化程度の高い人ということになりそうだ。そしてこの血圧水準が、その地方地方で日常とっている食塩量と並行しているというのが、第一のヒントであったのである。
この地球上に生物が誕生したとき、細胞のまわりに、当時の海水をとりかこむようにつくられた、といわれる。人間のからだを細胞内液と外液に分けることができるが、カリウムに富む細胞成分のまわりに、当時の海水は塩分が少なかったのだろう、ちょうど今の海水を3倍にうすめたくらいの、いわゆる生理的食塩水を細胞の外においたのである。そのうえ塩類をからだの外に出さないように、アルドステロンという塩類保持のホルモンをもっているのである。食塩が人間の食生活にとって、欠くことのできないものであることは、昔も今も変わっていない。
昔、奴隷(どれい)に塩を与えていた。塩の支給の意味をもつラテン語の「サラリウム」が、今のサラリ−マンのサラリ−になった。
先年ロンドンを訪れたとき、ロンドン塔の中の博物館で、代々イギリスに伝わる大きなダイヤモンドのはいった王冠や王笏(おうしゃく)のかざられている、その一番上に、黄金色に輝く”塩の入れ物”を見たときの驚きは、今も忘れることはできない。ここに塩の歴史を見た思いがしたのである。
上席、末席という言葉を英語でいうときには、”アバブ・ザ・ソルト”(above the salt)、”ビロ−・ザ・ソルト”(below the salt)というのである。おそらく、テ−ブルの中央に置かれた”塩の入れ物”の上と下で、席の順が決まっていたのであろう。塩の文化史にはいろいろな話題がある。でも今は人間の健康との関係を追求していくことにする。
中国で最も古い医書といわれる「黄帝内経」に、”海浜の者は魚と塩を食う””塩を多くとると、脈がかたくなる”という記載がある、だから、食塩が高血圧と関係があるといっても、そんな観察は、大昔の人がやっていたことになるのだ。
そして今、文明国といわれる人たちの間では、1日1人当たり10グラムの食塩が摂られており、だれもが不思議に思わない。ところが、それだけの食塩が本当に必要なのであろうか。
今から約10年前、ブラジルの奥地で原住民を調査したところ、そこの種族では、食卓塩を全く用いず、植物の灰(KCl)を使うだけだが、そこの人たちの血圧は110ミリ程度で、年をとっても血圧は上がらないとのことであった。そして文明にふれ、食卓塩を用いるようになった隣の部落では血圧が少し高いというのである。
最近の文化人類学者の調査でも、ニュ−ギニアの原住民は、野生の動物と同じで、食塩をほとんどとっていないで生きていることが明らかにされた。「エスキモ−」とは「生肉を食う連中」という意味で味付けはしない。
ところが一方、西インド諸島のバハマ島の土人は塩づけにしてかわかした魚を食べ、塩のはいった豚の油で料理をし、井戸水の塩分も多いことから、1日15グラムの食塩をとり、秋田県農民と同じように高血圧状態にあり、脳出血があるという報告があるのである。
一体、文明化とはなんだろう。塩をたくさんとり、血圧が高いことが文明化なら、この東北は最も文明化が進んだところということになるだろう。
食塩は人間の食生活に欠くことの出来ない栄養素であるのだが、生理的に最低限必要な量は1日1一人当たり5グラム以下であろうといわれている。ブラジルやニュ−ギニヤの原始人などは、確実に1日3グラム以下の食塩で生き延びてきたのだ。そして血圧は低い。
それでは1日10グラム以上の食塩の中で生まれ育ってきた文明人は、食塩を少なくすることが出来るであろうか。
「現在のようなストレスの多い世の中に生き抜いてゆくためには、塩は副腎機能をたかめるので、食塩を十分とることは意味のあるのである」という意見が出たとき、ド−ル博士は、減塩食を長期間続け、副腎機能を調べ、減塩食は無害なことを証明した。その成績によれば、収支のバランスがとれるなら1日数百ミリグラムのナトリウムでよいというのである。
一方、日本人の栄養所要量として、食塩については、成人1人1日15グラムという値が発表されている。厚生省の発表であり、教科書に引用されている。
ところが、ここでいう所要量とは「それ以下では健康が保証されないという、いわば生理的最低必要量を基礎として、それに安全率を考慮した摂取すべき量という」と解説されている。
所要量は必要量でないと解説されているからといって、1日10グラムの食塩をとっている人が、5グラム足りないと考えても、その人をせめるわけにはいかない。広辞苑によれば「所要」とは「必要なもの」とある。
ただ、ここで注意しなければならないのは、その所要量をきめた根拠である。まず、生理的に必要な量はきわめて少量であると考えられるのに、日本人が習慣的にとっている食塩をもとにして、10グラムあれば十分であろうとしている点である。農民は20グラム、一般に15グラムとられているから、10グラムなら要求量として十分だというのだ。そして、一般に好ましい塩味は1%から1.2%であり、食物の全重量にかけあわせて、食塩は15グラムになるというのである。
最高血圧150ミリを限度とすれば1日29グラムは限界ではないかという報告もある。アメリカの栄養所要量にあたる表には食塩ははいっていない。食塩は普通の食生活をしている限り、多すぎることはあっても、足りないことはほとんどないと考えるからであろう。
今までの栄養問題は、とかく足りないことが問題だった。ビタミン、蛋白質が足りない。しかし多すぎることは全然害にならないのであろうか。
食塩の場合、毎日口からはいる食塩はほとんど全部、尿に出るのである。水をたくさん飲んでいらないものを外に出している。この東北人は小さいときから、本当に必要な量の10倍に近い食塩を毎日とりつづけて生きてきたのだ。沢山おしっこを出して・・・。
日本人の栄養所要量として、食塩について成人1人1日当たり15グラムという値が厚生省から発表になっているといっても、それだけの量が本当に必要だと思っても間違いなのである。
所要量が生理的に必要な量ではなく、食塩の場合、日本人の好みに合った食塩の要求量としての 10グラムに、さらに5グラムを加えれば安全だろうという量なのである。所要量という言葉にごまかされてはいけない。
ついでに、栄養所要量についてふれておこう。食塩については日本人1人1日当たり14グラムという値が発表され、昭和50年には日本人の食生活はこうあるべきだという目標にはいっている。これなどは、前に述べた所要量をもとに、日本人の人口構成や労作別の人口を用いて、国民全体について計算した、いわば平均的な所要量に当たる数値なのである。だから個人がとる目安と考えては間違いである。
所要量とか、基準量として発表になっているのをみれば、だれでもその位食塩が必要なのかと思うのが常識というものだ。だが、この常識に落とし穴があることに気がついている人はきわめて少ないのである。
日本人が国際的にみてきわめて多くの食塩をとっている理由は、一般に、次のように説明されている。
「日本人の摂取食物は、植物性食品が多く、カリウムの摂取量もはなはだ多いので、食塩の要求量が多いのである」「野菜の摂取の多い農村の人々、あるいは、一般に草食動物は、多量の食塩をとらねばならぬ」と。
カリウムを沢山とるから、ナトリウムをとらなければならない。これが今の常識だろう。日本の教科書にあり、そう教えられてきたのだ。
実は、この考え方は1873年にさかのぼる。ブンゲ博士がドイツ人がジャガイモを食べるとき、食塩は欠くことのできない栄養素だと論じたときの実験によるのだが、最近4,50年の研究の進歩は、カリウムをとることで、ナトリウムが必要だということを証明したものはない。逆に、ナトリウムの慢性中毒をカリウムの多い食物は保護するのである。
リンゴやバナナやスイカを食べるとき、塩が必要だと考える必要はない。むしろ野菜や果物のようにカリウムの多い食物は、高血圧や心臓病の予防になるのである。
「労働するときは食塩が必要だ」「汗をかくときには食塩が必要だ」という常識にも問題がある。カロリ−や蛋白質は必要だが、食塩が本当に必要なものかどうか。東北地方では1年中、労働もしない、汗もかかない時も、実に沢山食塩をとっている。人間のからだには、アルドステロンという塩類をからだの中に保持しようというホルモンがあって、汗を沢山かくような人は、自然に汗の中に食塩をなるべく出さないようにしていることも事実なのである。
普通の食事をとっていても、毎日60種から70種の食品添加物を口に入れている。法律で許可されているものは全部で 300もあるのである。最近になってその安全性が論議され、特に慢性中毒はどうなのかが問題となった。ガンになるなどとおどかされては、たまったものでない。そして反動のように自然食運動が起こってくるのである。
戦後出来た法律に「食品衛生法」というのがある。食品添加物はその中で、決められている。「食品の製造の過程においてまた食品の加工もしくは保存の目的で、食品に添加、混和、浸潤その他の方法によって使用する物をいう」。ところが、加工や保存のために用いられる食塩は、「添加物」ではない。それは、食品衛生法施行規則の表にのっていないというだけの理由である。だから法律的には食塩は添加物ではない。どんなふうに作られた食塩でも、どれだけつけ加えられても、食品衛生法違反にはならないのである。本質的に食品の成分そのものであると考えるのである。なには節の文句ではないけれど、一番大きいものを忘れてはいませんか、といいたくなるのである。
食塩には、食物に本来はいっているものと、人間の知恵で食物につけ加えられたものと二つある。その知恵があやしいのである。
人間以外の動物、あるいは原始生活をしている人は、食物に本来はいっている食塩だけで、立派に生きている。猿が食卓塩をふりかけて食べているなどは、見せ物かマンガである。
人はなぜ食物に塩をつけ加えてきたのであろうか。もちろん人の好み(この好みが問題なのだが)に関係しての話だろう。しかし東北の実情から考えてみれば、食物を保存するために食塩が用いられてきたのは確かだろう。みそ、つけ物、塩づけの魚、いわゆる塩蔵物である。そして凶作時を生き抜いてきた。だがしかし、今は保存としては全く意味のない缶詰にまで塩を入れるようになった。
アメリカで大統領の栄養問題の顧問のメイヤ−博士が、高血圧の原因になる食塩をベビ−フ−ドから追放すべきだと発言したことが先日話題になった。これは食塩による高血圧の研究をしてきたド−ル博士の説を取り上げたものなのだが、博士はアメリカのベビ−フ−ドに、大人になおせば1日23グラムの日本の東北地方並みの食塩が入っていることを指摘して、動物に高血圧を起こしてみせたのだ。
子供のものは母親をねらえ−−これは商売のこつである。こんな味なら子供によいだろうと母親は自分勝手に考えるのである。だれも自分のおっぱいに塩を加えるなんてしないくせに。
ド−ル博士には娘がいる。小さい時から塩なしで育ててはみたものの、社会生活をするようになったら、せっかくの計画もだめになったと嘆いていたのである。
ちょうどわれわれ東北人が日常とっているくらいの量の食塩がはいっているアメリカで売られている缶詰の乳児食(ベビ−フ−ド)で、ネズミを4か月飼ったら、高血圧になったことから、ベビ−フ−ドには食塩を添加すべきでない、という意見がだされたのである。
食塩が人間の食生活に欠くことのできない栄養素であると認められたのは、ビタミン発見前のかなり古いことなのだが、食生活の中で必要なものでも、多すぎると害があるのではないか、多すぎると高血圧をおこすのではないかが、動物実験でたしかめられたのはほんの近頃のことである。
1950年、サピルスタイン博士らは、2 %の食塩を加えた飲料水でネズミを飼うと、高血圧がおこることを初めて報告した。同じころ、メネリ−博士も実験して、飼料の中の食塩の量を変えてネズミを飼ったら、食塩の多い方のネズミの血圧が次第に高くなって飼料の中の食塩濃度と血圧との間に、きわめてきれいな相関関係のあるのをみたのである。
動物実験だからかなりの量の食塩が用いられてはいるが、それ以来、実験的に動物に高血圧を起こすには食塩がよく用いられることになった。
実験的に動物に高血圧を起こす方法は他にもいろいろある。中でも一番有名なのは、1943年にゴ−ルドブラッド博士が発表した方法である。犬の腎臓にゆく血液を少なくすることで高血圧を起こしてみせたのである。その理由を解明してゆくうちに”レニン”学説が生まれることになる。
”ストレス”学説で有名なセリエ博士は、副腎皮質ホルモンで高血圧を起こす実験をやったが、その時、高血圧成立の条件に、ナトリウムイオンが必要なことを示した。食塩水を一緒に飲ませないと高血圧にならないのである。
”動物実験で証明されたのか”とすぐ人は聞く。その口のかわかないうちから、”動物実験で証明されたからといって、すぐ人間にあてはめるわけにはいかぬ”という。理屈である。”たばこ”と”肺ガン”の関係も、同じ理由で反論された。しかし人間は社会生活をしているので、動物実験のように条件を決めて実験するわけにはいかぬ。ここで医学は問題解決について困難な壁にぶつかったのである。
今地球上に住んでいる人たちの中で、ある人は小さい時から食塩をほとんどとらないで育ち、また東北人のように小さい時から沢山食塩をとって育ってきた人がいる。このことを、人間についてとても大きな実験が行われてきたとみることはできないだろうか。
日本はいまや”公害”についての実験場だといわれている。東北地方は食塩と高血圧の実験場である。
食塩を小さい時から沢山とって、みんなが高血圧になり、みんなが”あたる”なら、”食塩”説をみ認めないわけにはいかないだろう。だが、この東北にも、血圧は低く、あたらない人もいるのである。そんな人をみれば、食塩は高血圧に関係がないと信ずる人も出てくるのである。この事実が、やがて環境と遺伝のからみあいという問題に発展することになるのである。
広島、長崎に原爆が落ちてから25年。食べる物もなく、買い出しに明け暮れ、乳児死亡も多く、結核で大勢の人が亡くなっていったあのころ”あたり”で亡くなる方は不思議と少なかったのである。
ヨ−ロッパでも、第二次大戦中、冠状動脈硬化症による心臓病や、糖尿病は少なくなった。この一見矛盾するようなできごとは”あたり”や高血圧について、予防のヒントを与えることとなった。
戦前、脳卒中についての講義の中で、予防について聞いたことはない。当時の医学常識からいえば「結局、高血圧には薬はない。精神の安静が必要で、酒なども少しぐらいはよろしいといったくらいの結論で、日本人に多い脳卒中の予防は不可能かと、さびしい気分でした」とこの方面の研究をされていた渡辺定博士は書いている。
ところが、昭和16,17年と第二次大戦へ突入して食糧管理が始まると、次第に脳卒中の死亡率が下がってきたのである。高血圧の人も減少し、高血圧で病院を訪れる人も少なくなり、死亡率も下がってきたのだ。そしてこの現象は戦後しばらく続き、また最近は上がってきている。青森県では、低下の現れた時期は2年ほど遅れ、低下の割合も少ない。戦争中の影響の受け方がおそく、その程度も軽かったのだろう。だがそれだけ”あたり”の死亡は昔多かった。
一体、この死亡率の低下の原因はなんであろうか。外国での心臓病の減少は、食餌制限、とくに脂肪摂取の減少のためだと考えられている。
戦時中減ったものに”むしば”がある。それは砂糖の減少によるものと考えられており、われわれの研究でも、ちょうど戦時中、乳歯や永久歯がはえかわった時期を送った人の虫歯は一番少ないのである。
”あたり”はなぜ減ったのであろうか。寒さはきびしく、労働は激しかった。しかし”あたり”のもとになる血圧は低くなった。だれもがやせ、栄養失調症だったという見方もある。だが、血圧は低くなったのではなく、前が高すぎたのではないだろうか。やせたのではなく、その人にあったからだつきになったのではなかったか。今の方が血圧が高く、太り過ぎているのではないか。
死亡統計をさらに細かく検討すると、当時4,50歳代の人が一番影響を受け、死亡が少なくなったことが分かった。中年の人の脳卒中の予防に望みがある。戦時中、塩が少なかったことは誰でも覚えていることだ。なんでも塩に結びつけると言わないでほしい。カロリ−制限と食塩摂取との関係を臨床的に検討した成績によると、食塩をへらさないで、カロリ−制限だけでは肥満の人の血圧は下がらないという。肥満の人はごちそうを沢山食べ、自然に食塩摂取を多くしているのだと。
戦争中の経験は、中年の人がごちそうを食べ、腹が太くなってくる、見かけだけの繁栄に気をくばる必要のあることを教えている。
青森県の中でも高血圧の人が多く、”あたり”も多い三戸郡のある部落へ行った時の話である。「先生は食塩が多いと高血圧を起こすといわれるが、自分はみそ汁もつけ物もたくさん食べるが、どうして血圧が低いのだろう」
こんな人もずいぶんいるのではないだろうか。
1日20グラムも30グラムも食塩をとっている部落へ行って、血圧の低い人に会うと”食塩”説は自信を失うことになる。
「あの家は”あたりまき”ではないだろうか」「父が50歳であたったから、もうそろそろ心配なのだが」と”まき”を強調する。この血統を表す”まき”という言葉は医学的に深い意味がある。子供は親に似る。似ていなければ大変だ。だが、”あたり”や高血圧は、生まれながらの血液型や色盲のように運命づけられた病気ではない。だから厳密な意味の”まき”ではない。しかし遺伝と環境はどちらか一方というふうに割り切れるものではないのである。
1865年にメンデルが遺伝の法則を発見してから、”まき”は遺伝学という学問的な根拠を持つようになった。その本体は、細胞の染色体にあることがわかり、時に突然変異をし、生化学的に研究され、最近は分子遺伝学としてDNAとかRNAに注目されている。だが”あたり”は”まき”かのごとく素朴な、肝心な質問にまだ答えを与えてくれないのである。
食塩と高血圧についての最近の研究から、ド−ル博士の研究は紹介しておかなければならない。
ド−ル博士は高血圧の成因として、食塩説を主張する人の一人だが、動物実験でやっていくうちに、食塩にひどく敏感な系統と、鈍感な系統の二つに分けることに成功したのだ。ネズミに食塩を沢山やった場合、高血圧になりやすい系統のS型と、なかなか高血圧になりにくい系統のR型を得ることができた。同じ高食塩の飼料で飼っても、S型は高血圧になるのに、R型の血圧は低いのである。
京大の岡本耕三博士らは普通に生まれ育てても、高血圧になってしまう高血圧”自然”発症ラットをつくり出した。
こうなると”タネ”が悪いということになる。秋田県に高血圧が多いので、秋田県人の種が悪いと本気になって考えられたことがあった。日本人は高血圧民族で脳卒中民族である。日本人の種が悪いのであろうか。
ところが、ハワイ、ロサンゼルスへ移住したわが日本人の一世たちの死に方は、アメリカに近ずくにしたがってアメリカ的になり、二世、三世は全くアメリカ的に死んでいる。脳卒中や胃癌が少なくなり、心臓病で死ぬようになるのである。
もし日本人、東北人に悪い種があったとしたら、今までと同じ家に住み、同じ生活をするかぎり、昔の人と同じ運命をたどるに違いない。人一倍、高血圧や脳卒中にならない生活の工夫をしなければならないのだ。
歴史は繰り返すというけれど、わが国でのパン食か米食かの論争は明治の始めにあったのである。江戸300年の文化は、精白米の食生活を生み、”江戸わずらい”といわれた脚気(カッケ)が、日本人の病気の特徴であった。また外国人との接触がはじまると、日本人の体格の貧弱さに、ひけめを感じていたのであろう。
海軍の軍医高木兼寛は、イギリスの海軍にカッケがないことを、日本との食生活の差によるものだとし、食品分析の結果、窒素分の差が大きいところから、麦からつくったパン、そして肉食がよいのだと、兵食改革を断行した。ビタミンの発見前の時代である。麦の値は上がり、カッケはなくなり、日露戦争は勝利をおさめた。
一方、陸軍の軍医森林太郎(森鴎外)は、「日本兵食論」をドイツ留学中に発表した。陸軍も後にカッケ対策上、麦飯の採用に踏みきらざるを得なかったが、「日本人の食事の質を根本的に改革する必要は認められない。実験医学の立場から、米食に不安をいだく必要はない、ただ副食物の面で漸進的に改善してゆくことは勿論反対すべき理由はない。兵食にせよ、一般の食事にせよ、経済上の可能な範囲に改善してゆけばよい」と、これが彼の基本的な態度であった。
終戦後事情は一変した。日本の食糧事情は悪化した。米軍からの放出物資で命をつないだ。輸入脱脂粉乳によるミルク、小麦粉のパンを主として、これにおかずを配するいわゆる完全給食が実施されることになった。
「学校給食は、教育計画の一環として実施するもので、とくに児童の合理的な生活学習を実践する場とすることに努め、あわせて家庭および地域社会における食生活の改善に資する」。これが独立後の学校給食の旗印となった。「納豆、ミルクは学童の発育のスピ−ドを上げる」「米の偏食、大食は短命のもと」と仙台の学校や、全国での長生きの部落での調査から結論を出された東北大の近藤正二先生の説は、学校給食の普及に一役も二役もかった。だが先生の口からはパン食がよいとは一言も聞いていない。「米の大食は必ず塩の過食を伴う」という話も一般にはあまり知られていない。米を沢山食べるには、みそ汁を沢山飲む。みそ汁を飲めば飲むほど血圧は高くなる。
アメリカでは1944年に、ケンプナ−の高血圧の”こめ”療法が発表になり、世界の注目を浴びた。塩のはいったパンやバタ−をやめ、”こめ”に切り替えよ、というのである。米からカロリ−をとり、くだものを多くとり、低食塩、低カロリ−食が血圧によいというのだ。
学校給食による食生活の改善の効果、とくに乳製品の効果は否定できない。今や若い日本人は欧米人にひけをとらぬくらいに立派な体格になってきた。だが安心してはおられない。太って大きい人、必ずしも長生きではないのである。
なぜ日本に心臓病が少ないのか、高血圧や脳卒中が多いのか、これが改めて世界の注目を浴びている問題である。米が余ったから米食−−−ではかわいそうである。日本人のもつ健康問題について日本食の良い面、悪い面の再検討が必要だが、塩の過食が悪玉にあげられることは確かであろう。
食塩がからだに必要なものだと知っていても、食塩が高血圧に悪いと知っていても、普段の食事の中で、一体どこから食塩がはいってくるかを知っている人はほとんどいない。
戦後から現在まで厚生省が行ってきた国民栄養調査でも、いまだに食塩摂取量の報告はない。ビタミン不足は毎年のように発表になる。
「飲んでますか!」のPRとあいまって、保健薬乱用の流行を生み出した。本当にビタミンや蛋白質が足りない人々にはいかないで、文化人、都会人はせっせと薬を尿に流しているのが現状だ。
食塩の方は多すぎることはあっても、足りないということはないから、問題にはならなかったのだろう。でも多すぎることが問題だということになると、塩がどこからはいってくるのかを知らなければ、予防はできない。外国人にはとても信じられないくらいの量の食塩を日本人が摂っているのは、日本に長く続いてきた食習慣によっていることは確かである。
農民栄養調査の成績によると、農民1人1日当たり19グラムの食塩が消費されている。しょうゆから6.5グラム、調味料として5.8グラム、みそから3.1グラム、つけものから2.5グラム、その他の食品からは1.2グラムである。要するに塩が沢山とられるのは、みそ汁、漬け物、塩魚にしょうゆをつかって、米の飯を食べるという日本の食生活の基本型によることがわかる。そしてこれは全国平均だ。東北地方では、食塩濃度の高いみそを用いてみそ汁をつくり、朝、昼、晩とみそ汁を飲む習慣があるところから、1日30グラム以上の食塩をとる部落も出てくるのである。
みそ汁を攻撃したら、しょうゆ汁にしたという笑い話がある。みその大豆は日本人のタンパク源として大切である。日本人に心臓病が少ないことを、大豆に結びつけ、東洋の神秘として研究している報告も多い。ただ惜しいことに食塩が多すぎるのだ。研究熱心な業者では”保健しょうゆ”として、食塩含量の少ないしょうゆを売り出した。
塩からで一杯やるのはこたえられないという人も多いことだろう。魚の内臓の栄養も、塩で帳消しにならないかと心配である。最近の成長食品のインスタントラ−メンがある。これに1袋5グラムから6グラムの食塩がはいっていることが公衆衛生学会で話題になた。ラ−メン屋にはいったら「汁を最後までお飲み下さい」とご丁寧に栄養的な食べ方の説明書があった。これだけで5グラムの食塩がはいることになる。我慢してソバの下の方しかつゆをつけずに食べた落語に出てくる江戸っ子のソバの食べ方を、高血圧の人は見習うとよい。
”手前みそ”という言葉がある。”自分のことをほめる”ことであるが、これは自分の家でつくった”みそ”を自慢することからきたのであろう。
外国旅行すればすぐ気がつくことがあるが、ヨ−ロッパの国々では、それぞれ独特の”チ−ズ”がある。青かびのはえたのやら、塩がふいたのやら、いろいろある。人間のいのちに”第一に”必要な”プロテイン”(蛋白質)を、日本では大豆からつくった”みそ”から、外国では牛乳からつくった”チ−ズ”からとろうというのである。
”みそ”は土地土地によって、また家ごとにつくり方が違う。早い話が、青森県内の南部と津軽では全く違う。南部では大豆と塩だけの”たまみそ”である。津軽では大豆、塩、それにこうじがはいる。それぞれ独特な風味がある。関西の方へ行けば、次第にこうじの割合が多くなって、いわゆる”あまみそ”になる。
高血圧と食塩との関係が疑われたとき、食塩のはいっている”みそ”を全国的に調べてみた。東北地方の”みそ”の食塩濃度は高く、脳卒中死亡率とよく相関している。東北地方では自分の家でつくっているみその食塩の割合も多かった。全国に製品を送り出している信州から「東北地方へは食塩濃度の高い信州みそを出しています」という返事をもらったときには驚いた。
昔、東北に飢饉(ききん)があったとき、家にみそのたるのあることは心強かったことだろう。秋田ではいまだに、古い大家では、小屋にみそのたるを二つも三つも並べている。
山菜、野菜はすぐ塩につける。そして”がっこ”はお茶うけになり、酒のさかなになる。どう考えても、東北の生活は塩が多くなる。
大昔は海岸の人は山村の人より長生きだという話があり、海藻をとるからだという説もあるが、塩のとり方も少なかったのではないだろうか。海岸では魚を塩づけにする必要はない。いつも、なまの、いきのよい魚を食べる。塩づけは保存用で、山行きである。
広島や岡山の瀬戸内海に面した地方へ行くと、食塩摂取量も1日14グラムと少ない。血圧も低く、若くてあたる人も少ない。それでも山奥の部落へはいると、保存食によって食塩が多くとられている。そんな部落で食塩の改善によって血圧が下がったという報告がある。広島には”無塩(ぶえん)”という言葉がある。山へは無塩の魚が最大のおみやげだという。食塩を減らす食生活の改善をやって、血圧が下がった部落を、青森県でもみることができた。
”コ−ルド・チェ−ン”という一寸聞き慣れなかった言葉も、最近は一般化した。手元に昭和38年8月10日付け「資源調査会専門委員に任命する」と当時の内閣総理大臣池田勇人の名で書かれた一通の辞令がある。この時のレポ−トが、昭和40年に科学技術庁から出された勧告第15号である。標題は「食生活の体系的改善に資する食料流通体系の近代化に関する勧告」で、それ以来日本で、”コ−ルド・チェ−ン”の名が一般の口にのぼるようになった。
健康水準の向上という点からわが国の食生活をみて、改善が必要な多くの問題点があげられ、その体系的改善には、コ−ルド・チェ−ン(低温流通機構)の導入が必要だというのである。
1795年、ナポレオンは軍隊が供給する食品を、新鮮な状態で完全に保存する方法について懸賞募集を行っている。この時1万2千フランの賞金を獲得した方法が、びん詰で、後にブリキかんを用いた缶詰になった。1875年に製氷器が発明され、缶詰のような熱による食糧の貯蔵法とは反対に、冷による貯蔵法に用いられ、改良が重ねられ、現在の冷凍法という方法が完成した。
アメリカでも以前は、貯蔵といえばもっぱら塩蔵法が用いられていたのだが、今は少なくなり、冷凍、冷蔵、缶詰が主だ。日本では、まだ塩蔵が50%で、この点だけからみれば、50年の遅れがある。わが国では、船からあがる魚に塩をシャベルでふりかけている風景をどこでもみることができる。
健康水準の向上と食生活の改善について指摘された点は、わが国では本当に体のためになる食品としての、牛乳および乳製品、肉、卵、野菜、果実が少ないことで、これらはいずれも保存の方法が厄介なものだ。だから、日本食料の消費パタ−ンをみてわかるように、穀物、豆類、根菜類が中心で、動物性食品は少なく、果実も一般には少ない。そして常温で保存のきく米、みそ、漬け物が主体となってきた。ここ10年間にだいぶ良くなったと思われるが、農村では、”ナス”の出るころは毎日、ナス、ナス、ナス、”キュウリ”の出る頃は毎日、キュウリ、キュウリ、キュウリのみそ汁とつけものの”ばっかり食”の食生活が続いたものだ。これでは食塩のとり過ぎは避けられない。
生産地で捨てられるものは切り捨ててすぐ冷凍し、消費地まで送ろうというのである。食品の変化、汚染の心配もなく、ほしいときはいつでもどこでも、食べられるようにしようというのである。
今はアイスクリ−ムがどんな山奥でも食べられるようになったが、一般の食品をそうしようというのである。
冷蔵庫の普及の程度と塩の消費量は逆相関である。次の時代の食品保存法として、何か新しい方法、今、放射線の利用が考えられているのだが、それが一般化するまで、電気屋さんは冷蔵庫や冷凍庫を家庭に売り込むことになる。塩の過剰摂取からのがれるためには必要なことと考えたのである。
数年前、山形で公衆衛生の学会があったとき、挨拶に立たれた市長さんから、おしかりをこうむったことがあった。
「高血圧にリンゴがきくという話があるが、そんな簡単なことでは困る。もっとしっかり研究をしてもらいたい」ごもっともである。だが、その説を言い出した当の責任者としては、これまでやってきた数々の研究を十分ご検討のうえ、そう言われたのか疑問に思ったので、さっそく手紙を差し上げたが、返事はなかった。
こんな時、歴史的な話で思い出すことがある。脚気(かっけ)に有効な成分として、米のヌカから、アベリン酸(後のビタミン)を鈴木梅太郎先生が抽出したとき、「鈴木があんなことを言っているが、小便でもきくのではないか」と酷評を受けたのだ。なにしろ、脚気は”脚気菌”で起こると考えられていた時代の話である。
リンゴと健康との関係については、昔から諺がある。「1日にリンゴ1個で医者いらぬ」。英語にも同じ言葉があるのだが、ちょうど太陽のはいる家には医者がはいらぬというのと同じように、今考えれば”衛生教育的”あるいはリンゴ業者の宣伝の文句のようである。
40年も前に、ドイツの小児科の先生が、子供の下痢をリンゴをおろし食べさせて治したことが世界的な話題になった。胃腸障害には良いと思う。
食品分析表によるとリンゴにはビタミンCが少ないので、いつも果物としての価値が批判されるのだが、教育学部の葛西文造先生の研究によれば、リンゴの中のビタミンCは合成品と違った”生きた”作用があるという。
リンゴが高血圧によいのでないか、というヒントが頭の中にひらめいたのは、昭和29年に”あたり”の研究にとりかかったときのことだった。
東北地方の人たちの血圧は一般に高いのだが、弘前市近郊のリンゴ部落の狼ノ森へ行ったとき、当時すでに結核を追放していた、”健康部落”の方々の血圧が低いのに驚いた。いや高くなかったのだ。それ以来研究がつづくことになる。
秋田県水田単作地帯から青森のリンゴ地帯に入ると、同じ東北でありながら、若い脳卒中が少なくなるのである。津軽のなかでも。リンゴ地帯には若い脳卒中が少ないのである。そして毎日リンゴを3個以上食べているという中年者の血圧は低いのである。秋田の水田単作地帯の農民に1日6個のリンゴを食べてもらったら、血圧が食べない人に比べて下がったのである。リンゴをとると脳卒中の発作の直接の予防になるという証明はまだない。だが血圧のコントロ−ルに役立っていると思われるのだ。血圧をうまくコントロ−ルすることが高血圧の人があたらないためには一番大切なことと考えられている。
リンゴの中のカリウムが有効に働いているのではないか(佐々木直亮)。これには慢性食塩中毒に対するカリの保護作用という実験がある(メネリ)。リンゴの成分のペクチンが血中コレステロ−ルを低下させる(キ−ス)。実験的高血圧にペクチンが効果がある(角田幸吉)と研究がすすめられている。
15年前、小学生や中学生の血圧を測り始めたとき、「中学生でも”あたる”のですか」とよく聞かれたものである。当時、だれもが、高血圧は大人の病気であると、と思っていた。いや、まだそう思っている人も多いことだろう。
「40歳以上の方は血圧の検診を受けてください」と健康診断のときのはり紙にある。「おれも年になったか」とがっかりし、生まれてはじめて血圧をはかり、”あなたは高血圧です”とおどかされるのである。そして”高血圧の病気”になってしまい、父や母が若くしてあたったことを心に思うのである。急に酒を慎み、薬を浴びるように飲む。
あるいは”どうせ短い命だ”と、それ以来検診を避け、大酒を飲み、夜更かしをし、大いに働き、そして”ぼん”とあたるのである。そんな人をここ15年間に何人みてきたであろう。10年も前だと、”あたって”死ぬ前に、血圧を測ってもらった人は極めて少なかった。自分の血圧の値を知らずに、あの世にいっていたのだ。
血圧は生まれて以来、死ぬまで人間のもっている一つの生物学的な値である。身長や体重や脈拍と同じように。生命保険会社は、人の命をもとでに事業をやっている。保険をかけた人が死んでは困るのである。だから早く死にそうな人は入れてくれない。だれが早く死にそうなのか、それを見分けるために血圧を測っている。血圧の高い人は、各社が連絡しあって入れてくれないのである。そんな命に大切な値を商売だけに使われてよいのだろうか。どうしてこんな大切な血圧の値を、小さい時から自分でしらなくてよいのであろうか。
秋田県の西目村の中学校では、村の高血圧対策がはじまった昭和32年以来今日まで血圧を測り続けている。こんな例は世界中にない。中学生でも血圧が150とか160の者がいて驚いたのははじめの頃の話だが、最近は低くなってきた。食塩をとりすぎないように、冬は暖かく暮らすように、これが衛生教育の中心になった二つの柱であった。みそ汁の飲む回数は、はじめ1日3回飲んでいたのが76%、5年目には40%になった。つけもののとりかたや、しょうゆ、”しょっつる”のとり方は減った。
こうした全般的な栄養改善が行われたので、中学生の身長や体重も、この10年間で向上したのである。はじめのころ中学生で検診を受けた者も今は大人だ。中学生時代に血圧が高かった者は大人になって今やはり高い。なぜ小さい時から血圧が高いのか。そこに小さい時からの食塩の摂りすぎが関係しているのではないか、というのが私の推論である。
”塩と血圧を解剖して”の最後にあたって、一番むずかしい問題を指摘しておきたい。 塩は人が生活する上に必要な栄養素には違いないが、多過ぎては体に害になる。血圧は人がもつ、一つの生物学的な値であり、死ぬまで持ち続けるのである。そして最高血圧が150を、最低血圧が90ミリを越せば、越すほど、命の危険性がますのである。
この血圧の研究において食塩は最も疑われている”犯人”の一つなのである。食塩を必要最小限にするためには、1日5グラム以下にするためには、普段の食生活を改善するほか手段はない。入院して減塩食をやっているだけでは、家に帰ればもとにもどる。食生活の改善の第一歩は、正しい知識である。知識のないところに改善はない。よく言われるように、”頭”で食べなければならないのだ。
雪がふり、バスが通らないところでは、いくら知識があっても、必要なものは手にはいらない。米にみそ、つけもの、塩魚は東北人の今までの生活の知恵であったといえる。その知恵が、食塩の摂りすぎということから、怪しくなってくれば、変えなければならない。
料理、日本の料理は料理人によて決まる。その味付けは料理人任せである。東北人が料理人になれば、東北からお嫁さんがくれば、自然と塩が多くなり、”高血圧料理”になる。西洋料理の味付けは、食べる本人次第である。そこで食卓塩がものをいう。料理の味をみないで、すぐ食卓塩をふりかける人、味みをしてから塩をふりかける人、塩をふりかけないで食べる人。この3つに分けてんみたら、すぐに食塩をふりかける人の方が高血圧が多いと外国で話題になったことがある。
日本料理に塩をふりかければ、料理人はがっかりするだろう。その日本料理の”江戸の味”が長い伝統のある”京の人”に塩味が強いことで、”いなかもの”とばかにされるのである。今では”仙台の人”が”東京の人”にいなかものと、その塩味から、ばかにされる。本当の料理人は、食物本来の味を出す事こそ、料理の神髄という。
万国博で、大阪へ行った方は、京・大阪の味が、薄味で、食塩の少ないことに驚いたことだろう。あの地方には、高血圧が東北と比べて少ないし、若い脳卒中も少ない。しかし、その塩味こそ、ぐるさとの味、母親の味であり、三つ子の魂百までものたとえのように、一生忘れがたいものになるのである。そしてオリンピックのスタミナは日本食で、甲子園には”津軽のみそ”を送るのである。
軍隊、出稼ぎ、給食、他から強制されなければ食生活は変わりにくいのである。食習慣はきわめて”保守的”である。ここに食生活改善のむずかしさがある。
テレビで料理の放送を見ていると、決まって最後に”塩少々”加えましてとやる。なぜ塩を加えなければならないのだろうと絶えず思うのである。おいしいからだ。ここに人間の叫びがある。しかし、それも変えられるのだはなかろうか。
わが家では、酢と油とコショウで生野菜を食べる。塩がなければ”サラダ”にはならない。しかし私にはその方がおいしいのだ。子供たちはまだおいしいといわないけれど・・・。