最近わが国民の寿命が50歳から60歳、さらに70歳近くなったからといって、自分もその仲間入りができるようになったと思っている方が沢山いるようである。これは平均寿命(正確にいえば0歳の平均余命)がどのように計算されたかということを知らない人のもう想であって、その平均寿命の延長は、主として乳児の死亡や、青年の結核の死亡の減少によるものなのである。
4,50歳以上の方々の寿命は、あまり延びておらず、むしろここ2,3年は、寿命がさらにみじかくなる傾向すらあるのではないかと言われている。これは高血圧から来る脳卒中や心臓病が、戦時一時減少したのに、又最近は戦前なみに、沢山の方々が亡くなるようになってきたからである。例えば脳卒中による死亡は、昭和26年から結核にとってかわって、国民死亡の第1位をしめ、近頃では1年間に約13万人の方々が亡くなっているのである。
又わが国の中で、長命県、短命県といっても、70歳以上の方々がどれだけ生きているかという比較をすると、東北地方、特に秋田県は極端な短命県になるのだが、何が一体長命県、短命県であるかをきめているかというと、まず第1に、それらの県によって、脳卒中による死亡が若いときから多いか、少ないかによって、長命、短命をきめていることが統計上示されている。
さらに又わが国の人口構成の動きを将来どうなってゆくかとながめてみると、出生率の低下や、生まれた以上割と長生きしてゆく人がふえてくるところから、現在のわが国の人口が一歩一歩年をとってくると共に、老人人口の割がすこしずつふえてくることになる。これからの世の中は、老人医学などといった名前がでてくることからわかるように、老人の病気、年をとってからおこるなやみに問題が集中されることは、明らかである。このような意味から、癌とならんで、高血圧、そしてそれにともなう脳卒中、あるいは心臓病に重大な関心をはらわなければならないと思うのである。
さて、それでは脳卒中はなぜ起こるのであろうか。これはまだ世界のなぞであるが、今までの統計的観察によれば、その人の血圧が高いほど、脳卒中の危険率が多くなることがわかっている。したがって生命保険会社では、血圧150ミリ以上あると、加入をおことわりしているのが現状である。
血圧にも詳しくいうと、心臓の収縮期にあたる最高血圧と、拡張期にあたる最低血圧とがある。一般には最高血圧150ミリ以上、最低血圧90ミリ以上が危険とされている。血圧の低い方は、特別な病因がない限り、あまり心配されておらず、むしろ長生きの傾向すらあるという。
そこで問題となるのは、血圧が高い場合のことになるが、一体何が原因して血圧が高くなるのであろうか。今までになされた研究によると、色々な誘因がいわれている。何か特別な一つの原因ではなさそうである。もっと将来研究が進んだ暁には、その本体が究明されて、完全な治療あるいは予防まで手がおよぶかもしれないが、、今までのところ、特効薬的な効果を期待することはできない。
高血圧の治療はその道の専門家にゆずるとして、私の専門である衛生的見地から、即ち予防医学的な、どうしたら高血圧にならなくてすむかということについて考えてみよう。このことは、世界で最も大きな問題の一つではあるが、まだ未解決な点が多い。われわれは脳卒中や高血圧の本場である東北地方を土台に種々研究中である。
結論をいうならば、食生活の改善に大きな望みをかけているのである。
実際に脳卒中の死亡率は、秋田県を筆頭に東北地方の人たちに高く、特にその特長は、若い時からその危険率が高くなっていることである。又住民の血圧も一般には高いようであり、脳卒中や高血圧で有名な村は、小学生や中学生の時代からすでに高いことがわかっている。
しかし東北地方に脳卒中が多いといっても、詳細に調べると、全国平均なみのところもあるし、際立って高いところもあるのである。そこで、われわれは、これら極端に違う部落の比較から、何か人々の生活の仕方に相違があるのではないかと思って種々研究中である。
例えば、動物実験や、臨床成績から高血圧発生あるいは治療に関係があると考えられる食塩についてみても、血圧の高い村は食塩摂取量は多く、血圧の低い村は、食塩の摂取量はすくない。日本を全国的にみても、その傾向があることがわかった。
食塩の摂取量は、第一にミソ、次に漬け物、しょうゆ、調味料としての食塩できまる。東北地方にミソの食塩濃度は高く、農家でつくられる自家製のミソの豆やこうじに対する塩の割合も高いところもある。朝昼晩とミソ汁と漬け物でごはんを食べるといおう単純な食生活には改善の余地はあると思われる。
食塩はわれわれの生活に欠くことの出来ないものではあるが、1日1人当たり10グラム以下で充分と思われるのに、一般にはより多くの食塩をとりすぎているところに問題があり、食塩については、「過ぎたるはおよばざるが如し」の感がつよい。実際に動物実験で慢性食塩中毒の症状は、丁度われわれが問題にしているような高血圧からくる症状と非常にているという報告もある。
又東北の水田地帯では、米づくりのみで、畑作面積は少ない。従って野菜の摂取量も少なくなり、秋田県へお土産をもってゆくなら野菜をもってゆけといわれるくらい野菜は少なくその品種も乏しい。同じ秋田県内でもすぐ隣合わせの村でありながら、色々な野菜を植えている畑作面積の広い村では、畑のない村に比べて、血圧も低い傾向がある。これなど色々な野菜を豊富にとることが高血圧予防に効果があることと考えられる。
青森県は、全国の 7割のリンゴを生産するといわれるが、この青森県の脳卒中死亡率が東北地方でもやや低い。弘前地方を中心とする旧中津軽郡で、リンゴ栽培地帯と、水田地帯をわけると、リンゴ地帯の中年者の脳卒中死亡率は、人口10万につき男146、女73でほぼ全国平均なみのに、水田地帯では、男224、女130ですこぶる高い。これなど大変興味ある事実なので、この要因が何にあるのか目下研究中である。
又秋田県の某農村での所見だが、リンゴを栽培して、1日3個以上食べている方の血圧は、他と比較して低かったという結果もある。又実験的に野菜もリンゴもない秋田県の農民に、リンゴを毎日沢山たべさせたところ、血圧の低下の傾向をみた。1軒の家に1箱づつリンゴを渡して、毎日朝昼晩とできるだけ多くたべさせた。平均すると1日約6個になったが、それで、毎日血圧を測定したのである。実験をはじめる前に測定した血圧は、実験群20名、対照群18名の間に差はなかったが、リンゴを食べさせると、血圧のレベルに相違がでてきた、10日間で約10ミリの低下をみた事が統計的に証明されたのである。野菜や、リンゴ等の果物のない地方の農民の血圧に、リンゴを毎日続けて食べることが、何か影響するものであるという結果に深く興味をぼえている。
実際に、リンゴをつくっている部落では、自然に小さい時からリンゴを食べており、1日2個や3個は普通で、中には十数個も毎日食べているのである。高血圧の治療として、厚生省から示されている方針の中に、精神療法、安静、便通、睡眠などの一般療法とならんで減塩食、低カロリ−食を中心とする食餌療法の中に、野菜、果物食がすすめられているが、治療という面でなく、日常の食生活の高血圧発生に対する影響として、以上のべた成績が考えられないであろうか。
それでは、リンゴが高血圧にきくという本体はなんなのであろうか。これこそわれわれの求めんとするところであるが、これはこれからの研究におうところである。だが、理論的に望みがかけられているものはあると考えられる。
例えば、高血圧に対する犯人の一つであると考えられる食塩の害を打ち消すものがあるという点である。メネリ−博士は、慢性食塩中毒の研究の一つとして、食塩の害が、カリによって打ち消されるという実験を発表している。人間になおして考えるならば、約20年の生命の延長がみられるということなのである。リンゴにはカリ分が多いことは分かっている。
又東大の名誉教授の三沢博士は、高血圧の発生に珪酸が関係があるという新説を出されたが、この体に有毒と思われるメタ珪酸の尿中への排泄が、有機カリ塩によって促進されるところから、先生と一緒に「高血圧の疫学」という特別講演の機会を与えられたが、その時先生から君の青森県での研究は、なかなか興味があるとの言葉を戴いた。
脳卒中のもとになる高血圧の予防ができれば、癌の治療や、予防とともに、われわれが長生きすることは疑いないことであり、リンゴは長寿のもとという格言が文字通り事実となる日を1日も早く望みたいものである。(33.7.10.)