3月に入って毎年きまって訪れるものに、卒業試験の採点、就職問題、結婚話、更に入学試験、そして謝恩会とくる。毎日の新聞にも就職難、入学難を報じ、新しく就職する人への心得、新しい人生の出発の門出の言葉と季節の特長があらわれる。
ご多分にもれず、本新聞記者も小生のもとへ、「卒業生について望みたいこと」ときた。2年間長いおつきあいで、毎時間公衆衛生漫談に終始した自分には、今更あらたまって希望を申し上げるまでのこともない。
ただ衛生公衆衛生といえば、1つの学科過程の単位にあるものではなくて、実は私たち生活全体に関係があることなのだから、これからが本当の勉強の場であり、実践の場であることを重ねて申し上げたいだけである。
私も弘前へ来て4年になるが、長い間東京に住んだ自分にとっては、色々な意味で青森県は深く印象づけられた。弘前地方に美人が多いといわれていることも、この目で確かめた事実だが、そのほかも日々の生活に印象のあらたなるものがあった。
われわれの研究の立場からすれば、青森県民の健康の程度の低さが種々目につくのではあるが、これも青森県に住む者が、一様に受けなければならない運命なのではない。現代の進んだ公衆衛生の知識や技術や医学の恩恵によくさない誠に気の毒な人たちの中にみられる現象なのである。
例えば、乳児の死亡率が、日本の中でまだ相当高い青森県の中にあっても、将来皆さんが結婚して子供を生んでも、その子供の危険率は世界最低のものであろうことは、自信をもっていえるのである。それは一体何故なのであろうか。それこそ教育の効果といわなければならない。教育の効果などというと、先生や教師をありがたく思いなさいと、教訓めいた言葉にとられそうだが、実は皆さんが学んだ知識が身についたいかされた証拠なのである。
この2年間は、あまりにも短い日々だったかもしれない。しかし、それでも将来の皆さんの生活にお役立つことはうたがいないところである。
がしかし又、皆さんがこれから出られる社会の大多数の人たちは、皆さんが受けてこられれたような教育の機会にめぐまれなかった人たちであることも忘れてはならない。健康が自分だけのものでなく、広く皆さんのたものものであるなら、皆さんが得られたものが社会に生かされてゆくことこそ、望ましいのだはなかろうか。