感じたままに

 

 医者になって、苦痛をもった患者を診療治療してその悩みを救った時、自分が医者となった感激を身にしみて感じるに違いない。何時間もの手術のあとその患者が日ましに快復して苦しみがすっかり失われたのをみた時、医者としての仕事の貴さを感じる時でもあろう。4年の長い学生生活も終わり、インタ−ン・国家試験が済んだ時には、新しい知識が身にあふれて、社会に自分の仕事が生かされるのをみて感激することであろう。医者として、患者の苦しみを救い、1日も早く治ってくれるのを願わぬものはないであろう。

 しかし今の世の医者達が皆その様な感激にひたっていられるのであろうか。医者として生計を維持していかなければならない現実では、その生活は安易なものでないであろう。診療所では患者が多いことが望まれ、夜も昼も患者におわれて、自分の身を粉にして働きながら、月末には保険の点数の計算に日を送り、いくばくかの収入に身の苦労をなぐさめているのが現状ではなかろうか。

 医学の進歩によって予防可能であるとみなされる疾病が、そのまま放置され、それから病気によって医者が日夜おいまくられてよいものであろうか。何故医者の中から病気の予防に対する声がおこらないのであろうか。

 医師法の第1条に、「医師は、医療及び保健指導を掌ることによって公衆衛生の向上及び増進に寄与し、もって国民の健康な生活を確保するものとする」とあるのに、実際、医療の面のみが強くでて、保健指導が殆どなされていないのは何故であろうか。これは現在わが国では、病気が金銭の対象になっているからに他ならないからであろう。医者といえども、霞を食って生きているものでもない。その行為に対して正当な報酬の保証されていない今日では、医師による保健指導は善意か奉仕である。

 予防衛生活動として、例えば今医師会でとりあげられているような地域衛生活動としての動きをみても、本来のあゆみにもどったとはいえ、それが開業政策の一助にとみられる節がないでもない。「無料健康相談いたします」といった誠心誠意に出た表現でも、主として同業者の間からととられる、そんな広告をしては困るという反対にあうのが現実なのである。

 保険の点数にしても、予防の意味をもつ健康診断には金は支払われない。このような中にあって、医者のみに保健指導があまりなされていない現実を責めるわけにはいかない。今の世の医者諸兄が現実の中に苦労して働いておられる姿を、むしろよくやっておられると思うばかりである。

 診療所に勤務する先生が、学校を出たばかりであっても、すぐ数万円という報酬をとる世の中に、やはり苦労は多い事と思われる。勤務は24時間であろう。たばこ銭と同じ程度の金で往診に呼び出され、たとえオ−トバイは買ってもらっても、若い時代の無理はよいことはない。さらに日1日と進歩する医学を次から次へと吸収して身につけてゆく時間はゆるされているのであろうか。医者それ自身の損だけではなく、その診療を受ける側の人々も不幸であろう。無理のある診療所に人が落ち着く筈はない。半年、否数が月で医者が交代している現実は好ましいものではないだろう。このような中にあって、医者が保健衛生活動を行うことが割のあわないことになるのであろうか。私は割にあうことだと思っている。現に一部で行われつつあるし、今でも勤務医を対象にした場合には、その経済的な裏付けもあるものと思うのである。

  一般社会は医者をどうみているのであろうか。病気になった時には医者がほしい。戦争がはじまれば軍医が大切にされるという原始的な要求からのみ医者をみているのであろうか。国民が病気を一つの運命的なものと思い、起こってきた苦痛に対して万金を投じても惜しまない時代は、すでに過去のものになりつつあるのではないだろうか。

 結核菌が、1882年、コッホによって発見されてから、結核に対する科学的戦いははじまったが、わが国では、不幸にして結核に対しての対策は、ここ数年前までは治療一辺倒であった。しかし微生物環境の認識が約100年前に得られた西欧では、その科学的戦いは、既に100年前から着々と進行していたのである。だから、ストレプトマイシンやパスはなくとも、結核の死亡率は下がっていたのである。これは、いわば医者くさい患者の治療という面だけが結核をこの世からなくすすべてではなく、否その前に、結核にならなくてすむ工夫が、われわれのできる範囲にあることが考えられ、実行されていたにすぎないのである。

即ち、わが国では、健康は医者の手によって守られてきたという考え方が強く、一般の人々の頭にしみこんでいたからに相違ない。今や健康は、疾病の治療という、いわば狭い考えをはなれて、健康本来の姿への認識が常識化されつつあるのである。

例えば児童の健康は校医だけに相談されればよいと考えられていたものが、今や、校長先生以下全員の先生方の問題となり、地域社会を含めての保健教育の問題として認識されてきている。

一方、保健所を中心とした公衆衛生活動が行われる現場にあっても、市町村それ自体の中の部落とか色々な会の動きが中心となり、地域の保健婦、生活改良普及員さては社会医療事業家の活動とあいまって、健康が地域全体の関心事になりつつあるのを感じている。又これには、国民皆保険実施を目の前にしての、保険経済上からの必要性もその基礎をもっていることであろう。

即ち、つい数年前までは、国保の診療所は患者ができるだけ多い方が良く、病院も黒字であることが望まれた−−−これほど一般国民をばかにしたことはないのだが−−−時代が、今や、患者が少なく疾病が少なく疾病を通じて収入をあげなくても、町村民が健康で長生きし、病気も軽いうちに早くみつけてもらって早く治す方が結局は得になるという考えが、一般の人々は勿論だが、市町村の当事者にもつかまれてきたようである。このような場合に、医者だけが従来と同じ考えの下に、医療というものが行われていてよいものであろうか。予防衛生活動を業として積極的に進めている保健婦の動きを、一般の医者はいかなる目で見、これに応じているのであろうか。又保健婦の目に、現在の医者がいかに映っているのであろうか。

 現在、多くの医者の手当を必要とし、治療を必要とする疾病の多くは、現在の進んだ公衆衛生的技術、即ち組織活動を通じての公衆衛生技術の応用によって、いわば予防出来る疾病ではないだろうか。医者の長年の勉強と経験とによって出来上がった能力が、いわばつまらない疾病のために、日夜追い回されている現状は決して好ましいものではない。医者の技術と能力はもっと専門的な、医者でしか出来ない仕事に捧げられるべきであって、その方面の進歩なり領域は、益々高度な、又貴重なものになるに相違ない。そしてその貴重なものにこそ、充分経済的価値を認める時代が来ることが望まれるのである。

 学生諸君が将来如何に生くべきかという問いに対して、今まで述べてきたように、医者としての専門の技術がしっかりと身に付き、そして進歩する内容を次から次に吸収でき得る態勢がつくられることが望ましいと思われる。 

 しかし、一方、前にも述べたように、健康という問題が一般の人々の問題となってきた今日においては一体誰がこれを指導してゆくことができるのであろうか。アメリカで南北戦争が終わった頃、1872年に公衆衛生協会が発足したが、その時の言葉に、「公衆衛生に関係のある人たちが、事業家であれ、慈善家であれ、行政官であれ、とお互いに共通の会議を持ち、忠告し、協力し合おうという自然の熱望から生まれたのだ」と語られているが、わが国でもおくればせながら、そのような気運にあることはうれしいことである。そして今こそ、パイオニヤ−精神に富んだ、公衆衛生をリ−ドしてゆく人が、医者の中からも出てくることが望まれているのではないかと思うのである。(1958.9.15.)

(弘前大学医学部創立15周年記念誌,86−88,昭35.2.)

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