青森県には昭和33年から県国保連合会の世話ではじめられた医学生受け入れによる夏季保健福祉活動というのがある。
基本的な考え方として次のように述べられている。
「保健活動は、市町村がその地域の住民を病気から守り、生活を安定させるために市町村が主体になって行う住民活動であり、これを市町村(地域住民)に奉仕する国保連が統一推進するものである」と。
毎年夏季休暇を利用して弘前大学の医学生と県立高等看護学院の保健婦学生を市町村が受け入れて、そこの計画にもとづいた保健福祉計画が行われるのである。昭和44年度も行われたので12年つづいてきたことになる。
弘前大学の医学生の自主的研究団体である保健医学研究会の者たちが中心となってこの活動にあたってきたのだが、その世話を私がしてきたという関係である。
今回の補助の趣旨に、医学生が農村の現状、とくに保健問題につき深い関心を持たせるためと、また農村の健康を向上させるために集団検診などを実施していただきたい、この際学生の必要経費として助成金を用いて戴きたいとあった。
前段の医学生に保健問題について深い関心を持たせたるためという趣旨は賛成である。青森市に生まれ、弘前大学に入った学生ですら、今までは試験勉強におわれ、実はわれわれのごく身近の農村の生活の実態など全く知らないのが実情なのだ。
ただ後段の農村の健康を向上させるために集団検診など云々という点については、基本的にわれわれの行ってきた活動と、他の多くの医学校で行われてきたことと比較して、その差、その立場の差を明確に示しておきたいと思うのである。
第一の点は、われわれの活動は地域性があるという点である。地域にある大学の医学生の立場があるという点である。都会の大学が、どこか無医村に出かけるというのではない。青森にある大学の医学生が、青森の市町村に出かけるのである。
第二の点は、その地域で何をやるか、例えば集団検診をしてもよいが、それを決めるのは市町村自体であるということである。あるいはその中の部落自体であるということである。こちらが計画を立て、これに住民を参加させるというのではない。保健活動を行うのは住民自体であり、その活動によって問題をほりおこし、住民が健康を守る権利と責任を自覚し、問題を意識し、政治、行政に求められる分野を知り、方法論をくみたて、地域住民の意志を結集、実践することによって、住民の健康度が高まってゆくことを、意図(青山・鈴木・花田:日本公衆衛生学会.1965.10.)した活動である。その中で医学生・保健婦学生が一つの社会資源として役に立つことができないか、又彼ら・彼女らにとって教育的意義(佐々木直亮:県政のあゆみ1959.9.)があるのではないかということである。
医学生・保健婦学生にとって医療はできない。無医村にゆき、薬をばらまいてくることはできない。医学生にとっては、今病人に薬をやり、注射をすることではない。デ−タ−をとってくることではない。将来一人前の医師になったとき、正しい医療のあり方について考える基盤がこの際あたえられなければならない。保健婦学生にとっては、将来の職場の現状を、学生時代の自由な目でみる機会が与えられることは必要なことであろう。保健婦こそ、本当に賢い生活とはどんなものかを住民とともに一緒になって考えてゆき、本当にはだでふれた仕事をしてゆくことになる人なのだから。
夏季保健福祉活動で医学生が、又保健婦学生が各戸を訪問し、人々の生活している有様を知り、話あいをしてゆくことによって、人々が何を考え、どう行動しているかを知り、健康を左右している条件をよみとる機会が与えられるのである。
そして各地域での保健福祉活動は、それぞれの地域できまるのであるが、中心になる病院から医師のでることもあり、開業医が協力することもあり、移動保健所と一緒になることもある。学生の活動として戸別訪問の機会をつくれるようお願いしてあるが、血圧を測定し、水質検査、寄生虫検査等をやることもある。
医学生や保健婦学生を受け入れる町村の住民側にはどんな問題があるか。まず病気とか健康とかについて一般の方々がどんな考え方をもっているかが問題になる。今は病気は神や仏や先祖ののろいでもないし、たたりでもないのに、そう思っている人が県内には少なからずいるのが現実である。医師や薬にたよったことがない、自ら健康を誇っている人もたくさんいる。さいわい生き残ったと思われる人だけが健康を自慢し、その影に何万という生命(いのち)が失われ、現に失われつつあるということには気がついていない。
「改善された健康水準は、個人の知識ある行動にのみ基づいているのである。現在の保健知識が世界中に利用されるならば数知れぬ生命が救われ、はかりしれない災害がさけられるのである」とは故ケネデイの言葉である。
健康問題には多くの問題が含まれる。それを自ら考え、解決していかなければばらばい。昔のように、自分では何も知らなくても種痘を受けさえすれば、天然痘に対する免疫ができ、流行を防ぐことが出来た時代とは、病気の型も違ってきたし、健康問題は複雑にまた幅広くなってきた。
日本の現状では、国としての国民に対する健康の世話は目下縦割りである。厚生省、文部省、農林省、労働省等それぞれが自らの行政の系統を通じて国民の健康の世話をしようと役人は考えているが、基本的な単位である各個人、各家庭が一つであることが忘れられている。この際、町村という自治体の単位としては、それらをうまくまとめ上げる努力をしなければならない。保健と福祉とこの活動に2つかさねられたのも、もとをただせば住民の健康水準の向上に向けられた活動を、地域では一緒にやろうではないかというところからでたもので、そこで夏季保健福祉活動という名前が生まれたのである。この活動が機会になって、いろいろな社会資源の活用が考えられ、現実には多くの困難のある時期において、今まで放置されていたに違いない健康についてのいろいろの問題が、一歩でも前進する機会になる機会になることを信じたいのである。