音の暴力

 

 「国会・外国公館等周辺地域の静穏保持法」が成立したと報道された。

今回の国会で、急に議員立法としてまとまったのは、それなりの理由があったらしい。

(今月中旬、ソ連のシェワルナゼ外相が日ソ定期協議で来日するという事情があってのこと。ソ連からも要望があったらしい。朝日新聞(63-12-7)窓−論説委員室から<不>)

 その記事をみて、病院とか学校の周辺の騒音についての規制があるのかなと思った。

 そしてだいぶ前、選挙のマイクが市内をかけめぐっていた頃、医学部の教授会であれはなんとかならないでしょうかという発言(品川教授)があったことを思いだした。

 論説委員の記事にも、二十年近く前から(あの拡声器は何とかならないか)という話が出ていたが、(正当な請願デモまで規制されない)という強い懸念が出てさたやみなった、と書いてあった。

 政治が優先する世の中ではある。

 病院や学校の周辺、そして住宅地域、それに一般生活の中の騒音問題についてそれがなぜなのかはわからないが、日本人は極めて寛容である。

 

 先日韓国の新しくできたばかりの大学へいったら、広い構内全部が(quiet)になっており、車はスピ−ドが出せないように、所々一寸盛り土をするという工夫がしてあった。もっとも二十数年前いったアメリカでもそうであったが。

 

 騒音防止に関する歴史をみると、騒音に気を病むことは紀元前にさかろぼるといわれ、数十年前アメリカで一婦人が物売りの声を(うるさい)といったり、汽船のサイレンを制限し、病者のために病院の周囲に無音地域を設定すべしと言ったことから始まったと教科書(石川知福:環境衛生学)は教えている。

 品川先生が大学から県立病院へいったら、病院の中の食堂が音を大きくながしているのに驚いたそうだ。そしてもう一つ驚いたことは、病院事務当局に病院の中をもっと静かにしたらどうかという意見をいってきた者もいなければ、そんなことが話題になったことすらないという話だった。(63・12・7)

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