「弘前市内のうまいものを食べにいきませんか」とおさそいをうけた。
この頃は家内と二人で外食することが多くなったが、いつもいく店はきまっていて、注文するものもきまってしまった。それが口にあうからではあるが、新しい店を紹介されることは嬉しい機会である。
店に入るとすぐ顔馴染みの女性にその先生は「あれあれ、いつものやつ」とこちらのことも聞かずに注文された。
「うまいんですよ、それでよいでしょう」と、注文されてからおっしゃった。
どれを食べますかと聞かれても、答えは先生のご推薦にまかせますときまっているし、そのほうが結果的にはよいとは思うのだけれど。
その日の場所がどこで、何をたべ、案内して下さった先生がどなただったかは、今日のテ−マとは直接関係ないので省略するが、ふと二十年以上にもなるが、アメリカはロスの教授一家に案内をされて、レストランへ行った時のことを思い出した。
入口でボ−イ長に案内されるまで待っているという仕組みはようやく今日の日本でも身についてきたようだが、問題は席についてからのメニュ−の出し方が全く日本と違うことであった。
例の手触りのよい大きなメニュ−を一つづつ一人一人に渡すのである。そして一人一人20分も30分もかかって自分の料理を選ぶのである。いろんなことをぶつぶついいながら。
となりをみたら、学校にもまだいかないような子供にまでメニュ−を渡していて、もらったメニュをそれなりにながめながら選んでいた。
日本での様子は説明はいらないだろう。
ほとんどメニュ−は一つで、大体お父さんのところに置かれる。もっとも近ごろはお母さんがその役を受け持っていることもみかけるようになったが。
「おまえは−−これこれ−−」とこれでおしまいである。
このささいなやり方は何を意味するものなのか、とくに子供の将来に与える影響について。子供の教育はどのようやるのがよいことなのか。
帰りによった先生の家で話題はつづいた。
国際的な、またグロ−バルな話題が主であったが、玄関でみかけた絵のことも話題になった。
「どなたのですか」
「いや− じつは息子のです。小さいときから絵がすきで、学校の先生にもすすめられたのですが。絵でめしがくえるのか、と考えて他の道を選ばせてしまった。それなりにやっていますが。私も若かったのですね」
子供の教育のやり方はいつも家でも話題になることであった。
あの先生のところでは、TVもいれていない。勉強一遍とうで、親も一生懸命です。それにくらべてあなたは、が、いつもの話であった。
自分がその気にならなければ、親が子供に何をしてあげられるのか。
家にピアノを入れたとき、おとなりの方がおっしゃった。
「もし音楽家になるといったらどうするの」ということであった。
その息子が音楽で飯をくうようになって、ちょうど今日よる6時からのクラシックのFMから「ご案内はささきおさむです」の声が聞こえる日なのだ。
でもその息子から、小学生の頃、フル−トを買ってとねだられたとき、「小さい笛」でよいだろうと勝手にきめてしまったことが、親が勝手にきめてといつもいわれることではある。そのときの親の財布の苦しみもしらないで、とは私なりの言い訳である。
むかし私が小学生であった頃、図画の時間に油絵をやるか水彩を選ぶかというときに、父が勝手に金のかからない方を選んでしまったことが子供心にしみついている。
あなたなどめぐまれていたわ。私などいつもおさがりで。ほっておかれたわ。好きならそれをやったらよいわ。音楽家になるなら。わたし助けてあげる。
雪の降る街を、しばれる夜道を連れだって家に帰ってきた。(63・12・17)