朝のすがすがしい空気をすいながら雪道をあるいてちょっと大通りにでたら、次々とつづく自動車に追い抜かれた。排気ガスを浴びせかけられて。
「マラソンにオ−トバイの前走はいらない」と何回も書いたり言ったりするのは、昔私がCO中毒のことで医学博士の学位をもらったことを知っている方にはよく理解して頂けるものと思う。でないと老いのなんとかととられかねない。
マラソンといえば、瀬古選手が昨日の競技で引退した。オ−トバイの前走は依然変わっていなかった。医学的にいえば本当に気の毒なことだと思う。もっときれいな空気の中で走らせてやりたい。
でも引退はしかたがない。ソウルのオリンピックで入賞をはたせなかったとき、きれいな若い奥さんが「私からは金メタルをあげたい」と言ったと伝えられたよい話があったことを思いだした。
弘前市の中学生の凍死事件がじつは家では寒いとコンロを自動車の中に持ち込んで起こった悲しい炭火中毒事件であったことは、前に「部屋の空気大切に」に書いた。
先日も深浦で同じ事故死があったことが報道され、また今朝の新聞を見ても親子三人が風呂に湯わかし器を使い、ガスのために死亡したとあった。一体どうなっているのだろう。
昭和31年に草間教授在職35年記念の講演会が開かれたとき、私は「一酸化炭素中毒研究の衛生学における意義について」を述べている。私にとっては弘前にきて一つの転機を迎えたときだった。
CO中毒の原理は解っている。勿論私がやったCOとヘモグロビンとの関係などわからないことはあるが、その予防方法は解っていることなのだ。それをどのよう社会にあてはめてゆくかにはそれなりの意義もあろうが、まだ何もわからない脳卒中や高血圧の研究に進みたいと。
私がちょうどアメリカへいっていて一年間留守をしていて、衛生学の中でCO中毒の講義を受けなかった学生が、青森の医院へ当直にいって、ガス中毒で死んだという話をあとで聞いたときには、やりきれない気になったものだ。
自動車の排気ガスの話にもどそう。
いつだったか、外山敏夫先生が「東京はもう人が住むところではなくなった」「弘前で住むようになってよかったね」とおっしゃった。
さすが大気汚染の専門家ではある。
「でも外の空気はきれいなのに、まだ部屋の空気を汚くしていますからね」これが私の答えであった。
イギリスやアメリカの様子を長い目でみると、そして今の日本を見ると、自動車の排気ガスの問題はさけて通れない問題だ。この弘前で大学で車が数台という時代にいち早く自動車を乗り出した自分ではあるが。
排気に害のない自動車、これが次の世代に生き抜いてゆく技術であろう。あと20年かかるかな、30年かかるかな。おそらくトップシイクレットの技術として研究されているに違いない。そうでなければトヨタもニッサンも生きのこれないだろうから。
こんな話を女子大の学生に健康科学の時間にしたら、先生の説に賛成です。きっとそうなるでしょう。それまで頑張って生きていて下さいとの答えがかえってきた。(63・12・19)