「わ− 綺麗な人がいるわね」
これが女子大生が帰ったあとの家内の一言であった。その場では言わなかったけれど。
卒論を前にした4年生3名と3年生5名の研究室打ち合せ会をわが家でやったあとであった。
チョコレ−トをもってきた。わが家ではサンドイッチとス−プを用意した。
外は雪景色なのに、わが家には花が咲き、話がはずんだ。
今年で2回目であるが、私にとって驚きでもあり、嬉しかったことは、今度来た人たちのなかに、30年も昔血圧調査で回った町や村の、そのまた部落(東北では土地の人がそういっている)で生まれた人がいたことであった。もちろんわれわれが行った時にはこの世には生まれていなかった人たちだけれど。
その土地土地の一般には知られていない部落の名前をいうと、彼女らの表情は急にいきいきとかわるのだ。
「生まれはどこ?」
「秋田です」「秋田のどこ?」「鷹巣です」「鷹巣へはいったことがありますよ。昭和30年と31年に血圧調査に。栄と沢口へ」
「へ−! そこで生まれたのです」といった話であった。
「その時撮った写真がありますよ。アルバムに。見せてあげましょう。君は生まれていなかったけれど」
「あそこは血圧も高くて。中学生も血圧を測ったのですよ。いまどうなっているかな。栄は水田単作で、沢口は生活改善に熱心だった。僕らの一番初めの調査の頃にいった場所ですよ。血圧だけでなく、尿のNaやKも測りました。なつかしいな−」
「あなたはどこ生まれ?」
「ご存じないでしょう。名川町」
「いや−。そこにもいったことがありますよ。法光寺があって.それアルバムに写真があるでしょう。タバコをつくっていたな。東北本線の剣吉(けんよし)でおりて、下名久井、森越、斗賀、五日市、鳥舌内、鳥谷と保健所の先生方と結核検診と血圧測定をやったのです。町立病院にも行きました」
「あなたはどこ生まれ?」
「 田子(たっこ)です。今日TVにでているはずです。京都へ修学旅行へいっていた時もテレビにでていて、家へ電話していま出ているから見ろと言ったんです。牛肉が美味しいのですよ。にんにくも」
「 にんにくのことTVにでていましたね」
「食べた方と食べない方と分けて実験したのです」
「見ましたよ。すこし学問的にはおかしかったけど。牛肉は美味しかったな。町の健康まつりの講演によばれたとき、ご馳走になりました。お土産にももらって。田子町の病院の赤ひげ先生知っている?」
「ええ 東洋医学で有名な」
「あの先生を僕教えたことがあるのですよ」「へ−」てな具合いであった。
「エデンの園、あの迷い平の、知っている?.そうめんの滝もあったな」
「田っこにも昔いきました。旧上郷村時代に。衛生学教室のアルバム1号に写真があります。ほれ。りっぱな家があって。その外にお便所があって。そのりっぱな家にとめてもらったのです。シビガッチャキの調査と血圧の調査の時に。アルバムに原部落と書いてある」
「ひえ− そこで生まれたのです」
できすぎたような、しかし本当の話であった。(63・12・21)