「先生は何も知らないんですね」
「先生のような方が学部長だ学長になるから大学はだめになるんです。医学部の定員が百人になりました。どうです私の言った通りでしょう」
「いや−」
とこれだけ書いただけで、誰が誰だか、わかる人にはわかる会話である。
説得力あり、面と向かって言われるとその様に思えてくる、世にいうカリスマ的資質の持ち主だ。
「この先生は国際的に有名なんですよ」とそばから口をはさんだ先生がいた。
「お世辞をいってもだめです」
「あの学園紛争の時、先生は‘学生は学生です’と言いましたね」とは私の口からいつもいう言葉である。
寄生虫と第1生理の新任教授の歓迎会と学長学部長招待の会であったが、こんな会話がかわされたのは基礎医学の教授の集まりである水曜会の忘年会でのことであった。基礎出身の名誉教授にも連絡があって。
「金屏風はよいとして、床の間に掛軸もかかっていない。こんなところで会をやるとはなさけない」
「基礎医学の教授達は弘前のエリ−トでしょう。会費七千円ではいけません。来年は一万円だ。おまえの様なのが設営するからこうなるんだ」と気炎をあげた名誉教授がいた。そして幹事の先生は平身低頭していた。昔習った先生なので。
市内のホテルの一室にこんな和室があるとは知らなかった。
「評議員の先生のお話で学長や学部長からも会費をいただきました」
名誉教授からも会費をもらう。これも水曜会の伝統である。もっとも昔は管理職の先生をつるし上げる会であったのに、いつの時代からかよいしょの会になったようだ。
「基礎医学がまとまれば、学部長を出せます。先生どうですか。運動しますよ」
「そんな気はありません。昔はやりたがらない人が多かったのに、この頃はなりたい人がいるようですね」こんなこともあった。
「今年一番幸福な先生に乾杯の音頭をお願いしたいと思います」
誰がその人なのか皆にはわかっている。
「なにが幸福なのかわかりませんが、ご指名なので。皆さんの健康をいのって乾杯!」
「無事離婚が成立し、若い可愛い方と結婚されておめでとう」
「なつかしのバ−ジニアを歌いませんか、僕は涙がでてくる」
カリスマ先生にもこうゆう一面もある。
「その曲はシュウベルトですね。今日もFMでやっているはずです」
「Winterreise」
「Am Brunnen vor dem Tore da steht ein Linden baum--」
「鱒 どうだったかな」
「In einen Bachlein helle da schoss in froher Eil --」
「そうそう、それそれ」とドイツ語の得意の教授がうなずいていた。
「来年の幹事は○○先生にお願いしたいのですが」
皆拍手。これで来たばかり先生が幹事にきまった。
名誉教授になって学校をはなれたあとも水曜会に連絡を戴くとは有難いものだ。 (63・12・22)