すそかぜの話

 

 朝お尻が暖かいトイレに座って用をたしていたら,ふと亡くなった母が弘前にきたとき言った言葉が思い出された.

 「しもの方から冷たい風があがってきますね−、すう−と」

 まだ水洗の便所になっていなかった時の話で、女のひとはとくにそう感じるのかな、この寒い冬を弘前で過ごすのは気の毒かなと思ったりしたものだ.

 

 普段生活する居間を暖かくすることについては、脳卒中の予防における住生活の意義について高橋英次先生と研究したことがあったのでいつも心がけていたのだが、お便所を暖かくしたり、水洗にしたりする方までは経済的にも手がでず、郷に従えば郷と言うわけで、じっと我慢の子であった。でも公衆衛生院の曽田先生の家が田園調布にありながら、「まだですよ」といった言葉に慰められた気がしたものだった.

 

 一番合理的な生活はどんなものだろうか。学問的にはわかってきたものでも、それが生活のなかに実際に生かされ、皆がそうなるには時間がかかるもののようだ。

 たとえその時代、弘前でひとり水洗便所にしたところで、その先はどうなるのか。

 ちょうどそのころ保健所の先生が教室に出入りしていたのでわかったのだが、市内の某有名デパ−トの排水はそのものズバリで土淵川にだされていたことを聞いたことがある。

 

 いま台所で一番便利なものとして考えられているもの、それは二十年も前アメリカでみて、これは便利だな、しかし今の日本のそれも都会で流行したら大変なことになるなというものを見たことがあった。地域社会がそれなりに充実していなければ、結局は一時はその人にとってよくてもいずれはそのしっぺいがえしがくるものではないだろうか。

 話がとんだところにいってしまったが、それがなんであったかは衛生学を学んだ方なら解るだろう。

 

 下北半島のむつ市で赤ちゃん会議が開かれたとき「すそかぜ」という言葉を聞いたことがあった。

 それは冬にすそから風が吹いて寒いというような贅沢な話ではなく、お産はほとんど自宅分娩であった頃、その環境が不潔で、多く産褥熱にかかっていたとき、土地の人はこれを「すそかぜ」といっていたという助産婦さんの話であった。

 風呂に入るのも一週間に一回、それも溜めきりのお湯で。それが普通であった。

 

 昭和29年に弘前に来たとき浄水場を造っていた。そして明年市制100年をむかえる今、下水道の工事が始まった。

 しかし自分の身にふれて座るところは暖かく、あとシャワ−で洗ってくれるトイレは、世界でも一番進んだ形のものではないだろうか。

 

 先日東京のもっともモダンなビルの、それも30なん階かの会場での世界のトイレ展をみての印象である。日本人はきめが細かい工夫をする。(63・12・23)

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