しばらくぶりで

 

 一日一考の記録がこの二か月あまり全くとどこうってしまった。

 理由は昭和から平成の時代の変わり目にあまりにも情報が多すぎたことによる。

 その一つ一つについての考えをワ−プロをうっていたらきりがなかったからである。

 といって頭が休んでいたわけではなかった。

 

 あまりにも次から次へと記事が出て色々と考えされることが多かった。

「Xデー」を予定した記事、それはそれなりに時間的な余裕があったろうから、記事の内容は元旦の新聞と同じで読みごたえがあった。

 しかし戴けないのはその手のTVの番組であった。それも対談など。明らかにそれと分かるようなものは、TVのやらせではないか。

 外字新聞に予定記事が先に出て、ちょっと話題になったが、戦前なら切腹ものだろう。

 新聞によってその取扱、論調の違いがあることも興味があった。

 事実は一つなのに、新聞によって記事の内容、見出しが違い、それによっていわゆる世論なるものが造られていく。

 

 メモ・日記・回想録、それも一番真実に近い人達のそれが次からつぎへと記事になるのを読むと、われわれは本当に何も知らなかったのだと思う。

 8月15日の数日前当りからなんとなくへんな雰囲気が佐世保の海軍病院の中にあったことを思い出すだけである。

 それでいてまだ本当のところが分からず、疑問の点はいくつかはある。

 一番必要なのは正確な情報である。

 それをもっている人が誰であったのか。それによってどのように判断したのか。その判断の根拠はなんであったのか。その人は何を考えていたのか。

 

 「大正に生まれ昭和の中を生きて来ました。いろいろなことを経験して。

 ’いのち’という番組がありましたね.あのはじめの時代に弘前にきました。昭和の後半に生まれた皆さんはこれから平成の時代を、そして21世紀をどのように生きていくのでしょうか。

 世界が日本がまたこの東北がどのように変わっていくのでしょうか。 その中でくいのないように元気で生きていってください」

 と女子大生に送る言葉に書いた。

 

 「日本列島慢性食塩中毒論」を書いたことがあった。

 その流儀で書くとすると、いま日本は「急性リクル−ト中毒」でゆれている。

 これは一E氏が考えたことなのか。何のために、何が目標なのか。それを受け入れるものが政治家にあったのか。

 この件についての本当の情報は何なのか。(1・3・19)

目次へもどる