「医師のがん告知」意見二分、賛成37%、反対40%と今朝の朝日新聞のトップに報道された。
昭和天皇ががんで亡くなられたことが明らかになったあとだけに、時宜を得た記事であると思う反面、この手の世論調査に付きまとう問題点を感じないわけにはいかない。
それはここでいう「がん」とはなにを意味する言葉なのかということである。またこの世論調査は何を目的としたかということである。
「がんについて、お聞きします。日本では、多くの医師ががん患者本人に、がんであることを伏せています。医師は、患者本人にがんであることを知らせる方がよいと思いますか。そうは思いませんか。」ではじまる質問における「がん」の意味するところは何であるのか。
現代における「がん」についての認識は、「癌」といい、Krebs、canncerという言葉が生まれた時代でもなければ、「癌出来つ 意気昂然と二歩三歩」(山際)の時代でもない。
またいまからざっと35年以上前の昭和33年に朝日新聞社がアメリカの情報をいち早くいれ「ダイヤルCをまわせ」とがん予防の本を出版した時代ではない。その時代はとにかく早期発見即刻治療の時代で中山恒明先生のガン七つの赤信号の症状が示されたし、公衆衛生のではそのPRに努めたものだった。
しかし今はそんな時代ではないと思う。
というのは「がん」の自然史が細胞レベル、DNAのレベルで云々される時代になったと思うからである。
いわゆる医師ががんを発見する時期はがんの進展の時期からいえばかなり時期が進んだ時期で、細胞数からいえば数百万個の癌細胞の集落といわれるから、本当の予防の段階ではない。
だから早期発見は第二次予防といわれ、その前に第一次予防にあたる段階があると考えられるということである。
勿論早期発見は必要であるし、すぐ治療をすれば死をまぬがる人があることはたしかであると考えるのではあるが。
となると世論調査にある「がん」とはどのような内容をさしているのであろうか。どようなレベルでのがんを問題にしているのであろうか。
医師が診察し「がん」の疑いをもった時には、がんとしてはかなり時期が進んだ時期であるという認識が必要である。
実際青森県民健康調査の一環としてがんについての調査を行った結果によれば、昭和52年の時点ではあるが、がんによる死亡者のほとんどは医師が診断した時にはすでに手遅れで 2-3 月あとには死亡していたことが明らかにされたのである。
だからそのような時期に「がん」を診察することを余儀なくされている一般の医師はその人のために一番何が大切であるかと考えている結果と理解すべきではないだろか。
この点が一般の人たちに理解されるであろうか。
がんといわれれば死を意味する時代はたしかにあったと思う。それは手遅れの患者ばかり診察しなければならない時代であったと思う。
しかし今はがんになる可能性、がんにならない可能性を研究し、その事実を教育する時代であると思う。それが「健康科学」の時代であると思う。
そのような立場をもつ者からは、この手の世論調査の持つ意味について、どのような考えにもとずいて調査が行われたか疑問に思うのである。
また日本人の死亡の傾向をみるならば、益々がんと名の付く死亡は数多くなると思われる。それはいずれは人は死を迎えるという現実に目をむければ、年をとってから死亡する人にもそれなりの診断名がつくのであって、単にがんの診断がついて死亡する数が多くなるということだけが問題とは考えられない。
人の一生のうちで若く早くがんで死亡することを問題とする立場がある。たんに人ががんという診断をされ、そのがんの告知をするということだけについて質問をし、それに回答をし、その%の数字がどんな意味をもっているかを解釈できる問題ではないと思うからである。
今朝の記事はこの時代にこんな質問がされ、その回答がこのようであったということだけであろう。(1・3・3)