美しき五月に

 

 「あの弘前の藤田別邸の庭で、先生は”美しき五月に”を歌いましたね」と話かけられた。 青森から弘前への電車のなかであった。

 大学が始まり、新入生歓迎会をやったときではなかったか。昔の写真もある。

 この弘前の五月は、ハイネが書きシュ−マンが作曲したヨ−ロッパと同じで、一年でもっとも気持ちのよい季節である。

 一年で一番よい季節を選び、天候の安定して晴れの多い日を選んで学会をやったことがあった。

 今から二十四年前にもなるか、弘前公園に市民会館が新しくできて、こけら落しのようであったが、日本衛生学会をやったことがあった。

 あの時は今年と違って桜の咲くのがのびて、5月14日から16日の会期中りんごの花とさくらの花が一緒になって、遠来の客をもてなしてくれた。

 

 弘前に新しい教授がきて、奥さん共々桜をみに弘前公園を散歩しておられた処をスナップした写真が、アングルがよかったか、私もよい写真がとれたと思ったが、芸術家の奥様にも気にいられたようだ。その教授もはや開講十年という。

鯉江久昭・梅乃夫妻(弘前公園にて・昭54.4.)

 その記念の会に「日本の詩歌−その勘どころ」という題の講演を聞く機会があった。

 その内容は翌日(15日)の東奥日報に本当によくまとめてあったので省略するが、私のノ−トには、「童顔は 母譲り 詩をかたる」と書いておいた。

 それにしても毎日のように朝日新聞の一面に連載され、いま時の人ともいえる大岡信そして一緒にこられたかね子令夫人のことを知らないとは教養がないんだからといわれたものの、隣にすわった某名誉教授もご同様であったのにも驚いたが、「専門家はそうでなくてはいけませんね」というお答えに安心したものだった。

 

 その朝日新聞に本当に「いや−になってしまう」という記事があったことが報道された。この美しい五月にである。

 「サンゴ汚したK・Yってだれだ」の沖縄・西表島のサンゴ礁撮影の記事である。

 それに前にあったものをただわかりやすくしただけだという上司の説明も気にいらない。もしそうなら前がこうであったという写真もあるはずだ。それを示してくれたならすこしは気が晴れたかもしれない。世界のどんな名所にいっても同じようなことをする人があって、その落書きの筆跡をみることがある。なにかそこに残したい気は人には誰でもあるのではないかと思うからである。

 それがニュ−スのためのやらせとは。

 この報道をしたNHKのアナが西表島を「ニシオモテ島」といっていた間違いにはすぐ気が付いた。前に沖縄行に書いたように沖縄旅行の際、美しい石垣島や「イリオモテ島」にいったことを思い出しながら聞いていたからである。 (1・5・17)

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