サンフランシスコからワシントンへの直行便は混んでいた。
日本で安い切符を買ったので、席の番号の決まった搭乗券を渡たされるまで心配であった。このこと以外にはすべて予定通りであったが。
なぜ最後まで席をきめてくれなかったのか、よくわからないまま、入口で待っており、最後に名前をよばれたときはほっとした。
No Smoking の席を指定したためかもしれない。それであれこれやってくれたと好意的に解釈したが。
前日確認をしているのに、もし最後に席が満員です、あとの便にして下さいと一言いわれたらどうしよう、直行便はこれしかなく明日になってしまうと不安が頭をかすめた。安い切符を買ったひけめがあとをひいた。本来なら30数万するのに全部で19万の切符であったから。でもあとで日本からきていた友人に聞いたら皆ほぼ同じ値段であった。
ワシントンにはいくつもの空港があるが、今度はダレス空港であった。前回着いたナショナル空港ならタクシーでもと考えたが、市内まで1時間はかかるし、出口のすぐ前にバスが目にみえたし、切符を12ドルで買って乗りこんだ。
タクシーがどんどんゆくなかに、バスに何人か乗りこんできた。中に今度の学会の招待講演者の上島弘嗣君の顔があった。
「一緒になりましたね、同じ便でしたか、教授になっておめでとう」
彼は今度滋賀の教授になったのである。
真夜中に近く、チェックインは簡単であった。
予約の葉書をだし、クレヂットカ−ドをだし、一日宿泊を延ばしたいのだけれどといい、115ドルの部屋でよいかと聞かれ、OKといい、それだけで鍵をわたされた。 サンフランシスコでこの鍵を経験したから大丈夫だ、便利だが、時にやり方にコンフュ−ズするといったら、サムタイムスといってわらっていた。随分愛そうがよくなったものだ。
真夜中の3時であった。
寝る前に飲んだビ−ルのためか、まだ体内時計が昼の時間なのか、目がさめた。
小便にいこうと立って、バスル−ムのドア−を開けようとしたら、それが厳として開かないのである。
こんなことがあるものか。頭は混乱した。押しても引いてもびくともしない。これがアメリカのドア−か。
昔アメリカへ初めていくことになったとき、アメリカではドア−は自動的に鍵がかかって、外からは絶対に開けられないよ。外出するときはキイ−を忘れずにと、何回も云われたものだった。
それがハワイに着いたその日に、裸で廊下に出たところ、意識して開けておいたドア−なのに、その時風が吹いてきて、バタ−ンとしまってしまったことがあったことがあった。その時は廊下にあった電話で0をまわして、どうにか切り抜けたことがあったが、今度はどうしたものか。
ル−ムサ−ビスにダイヤルを回したら、真夜中で時間が時間なので、サ−ビス時間を告げるテ−プの声だけであった。
それではと赤で示してあったエマ−ジェンシイを回してみた。
眠そうな声がかえってきた。事情を説明したら、それはエマ−ジェンシイではない、お前はシックなのか、そうでないなら、メンテナンスの番号があるからそれを回せという。
若い白人の青年がすぐやってきて、ドライバ−で外から鍵をまわして、トイレのドア−を開けてくれた。
「サムワン・ロオックト・フロム・インサイド」
誰も中にいないではないか。
あとでよくよく検討してみたら、ドア−の取っ手の内側の処にプッシュボタンがついていて、それが向い側の壁に当たって自然に内側から鍵がかかってしまうことがわかった。
明らかに構造上の欠陥である。
チェックアウトのときアンケ−ト用紙に図解入りで、その問題箇所を示しておいたが、どのように処理されただろうか。
そういえばサンフランシスコで泊まったヒルトンタワ−の新しい部屋の洗面とバスの処にはドア−も何にもなかった。
ホテルには色々な人が泊まり色々なことがあることだろう。
この私の失敗談は学生にはうけた。
だが帰ってこの話を家内にしたら、
「夜中きた人にチップを渡しましたか、だめですね、あなたは」
その時はただ頭が混乱し、ドア−が開いて、溜った小便をだせて、ただ有難いだけで、「サンキュウ・ヴェリイマッチ」だけであった。(1・7・12)