1月10日付毎日新聞のみんなの広場に私の「スパイクタイヤ禁止に反対」の投書がのったら、たちまち反論がでてきた。
16日山形市、19日金沢市、鳥取県益田市の方からの反論であった。
そのどれもが私の投書の主旨が理解されていないように読み取れたので原稿をワ−プロに入れていたら、「あなた生きがいができたわね」とそばからいわれた。
私の投書がのったその日であった。大学の知人から「仙台市の局長さんから電話があり、(資料を送って啓蒙してください)とのことでした」と資料がとどけられた。何と有能な行政官であろうか。こんな方がいたから仙台市では全国に先駆けて条例がつくられたのではなかったか。その時「道路粉じん健康影響調査専門委員会」の委員になって報告書を出されたE教授に「青森県では事情が違いますよ」といったことを思い出した。
局長さんから送られてきた資料をみると、仙台市におけるスパイクタイヤ公害問題が顕在化したのは昭和56年1月一仙台市民の新聞投書がきっかけであったと書いてあった。
全国でスパイクタイヤ追放に声をあげている方にとっては、私の投書を読んで頭にきたのではないだろうか。投書の方々がすべてそうだとは言い切れないが、私にはそのどれもが極めて感情的にものをいっているように思えた。
「世間の人は大抵そう思っていると思いますよ」とそばの人は感情論に賛成である。
「新聞の投書をみたといっていました。何かだされたのですか」
「どういっていましたか」
「大体まともといっていました」
「粉じんはひどいこともあるんだから。なにかデ−タをおもちですか。衛生学者と書いておけばよかったのに」とは徒歩通学の方。
「よく書きましたね。皆そう思っていても書けないことを。九州でも山の人はスパイクですよ」
「先日地元の新聞にも(不安消えないスタッドレス)(スパイクタイヤ廃止へ警告)の投書がありましたよ」「(スパイクタイヤの廃止によって、将来、命を失う運命にあるのはあなたです)と書いていました。損害保険代理店の方から」
先日「急げ脱スパイクタイヤ、実現性高い、この法的規制策を」という北大教授の提言がのっていた。工学部の教授が法規制に賛成で、衛生学者の私が反対である。世の中の人はなんて思うだろう。
気に入らない意見を述べている場合には何でも気にいらないらしい。
一市民としての投書という気持から何の肩書を付けないで出したのだけれど、職業明記であったので新聞社のほうで「大学教授」とつけたことなのに。「大学教授」がいけないのかもしれない。
憤りをのべた金沢市の大学教授は、「雪道を運転して30年」と書いたことを、30年も歩行者や自転車にのる人に迷惑をかけつづけている自動車への思いを書いている。この方も徒歩通学の方か。
30年と書いたのは、青森県での30年の交通事情の移り変わりが頭の中にあって書いたことなのに。
雪はふみかためるもので、その上をそりがはしっていた時代、春先の雪切りのこと、タイヤにチェ−ンをまいてはしった時代、ばたんばたんとチェ−ンで地面をはたいて、大きな穴をつくって、春にはきまってテンプラ舗装を繰り返していた時代、ちょっとした坂でも登れない車がいて延々待たされた時代があったのである。
「自分が安全ならそれでいいのか」と書いている方がいた。
自分が安全なら他人に迷惑をかけてよいなどとは、ちょっとも思っていないのに、そう読む方がいるのには驚いた。
安全第一は自分だけではない。歩いている人にも、自転車にのっている人にも。
よくあんな雪道を自転車にのっているものだと思う。乗っている人も危険だと思うが、自動車側からみれば極めて危険である。
おまけに歩行者が車道を歩いているのだから。
いつだったか、市外環線道路やバイパスができたとき市長さんが立派な道路ができたでしょうと自慢顔に言ったので、「歩道」はどうなんです、まず歩行者が安全に歩けるような施設を造る方が先ではないでしょうか、と言ったことがあった。
冬の車道の除雪は始めたが、歩道のことは全然考えてもいない。アメリカで25年前、歩道もちゃんと除雪していたのに。青森では歩きにくい雪の積もった歩道をもくもくと歩いている。そして歩道が歩けない人は除雪した車道を歩いている。こんな道での交通事故の責任はどうなるのであろうか。
以前雪対策委員会に呼ばれたとき、この雪国での法が全然整備されていなことを考えさせられたことを思い出した。
スパイクタイヤ着用車だけが「そこのけ主義」で走って行くのではない。
自動車そのものがそんなかたちでわれわれの社会へ入ってきたのだと思う。自動車文明そのものの批判なら分かるが、その思いをスパイク問題に当てはめるのはあたっていない。
アフリカでブッシュマン(本当はサンという)達と生活したことのある田中二郎先生の「自分が歩いて、道をつくった」話を思いだした。アフリカで野原での道は自分達がつくったというスライドをみせて戴いた。
青森の田舎の道の真中を老人が堂々歩いている風景をみることがある。昔はそうでなかったのにとあとから出てきた自動車など、どこふく風で歩いている。そしてそんな老人がはねられる世の中になってしまった。
でもあともどりはできないと思う。
「スパイクで白線が消された横断歩道で、かつて幼児が車にひき殺されたこともあるのを投稿者はご存じか」とあった。
スパイクタイヤだけが白線を消したと受け取られる書き方はどうしたものか。
チェ−ンの時代でも毎年春になるとテンプラ舗装をやっていたのだ。
その上青森では冬は大部分の横断歩道の白線など雪ですっかり隠れてしまうことなどご存じないのだろう。
「雨の日は黒い水しぶきを容赦なくまき散らす現状は我慢できません」と。
これがスパイクタイヤとどう関連しているのだろう。自動車運行自体の問題ではないか。そのことについてはすでに法的に規制されている。
西独などヨ−ロッパの例がよくいわれる。アメリカでの一冬の経験しかないが、まったく雪のふりかたが青森とは違う。青森のように降ったら毎日休校していなければならない。車道も歩道も除雪はよくやっていたが、その上岩塩や凍結防止剤を車道も歩道にもまいていた。そんなのをまいたら今度は「塩害」だ「塩害」だと叫ぶ人がでてくること間違いない。
スパイクタイヤ問題がいわれる中で粉じんによる健康被害がいわれる。
その被害がないというのではない。
健康問題という場合には、絶対論ではなく、比較論で考えることが必要で、人々がそれをどう判断するかが必要だと考える立場である。
学問は絶対論をのべ、科学的にだれでも納得いくかたちでその証拠を示せば良いものだと思う。それが学者の務めであると思う。
あとはどの健康問題が重要であるか、人々が考えればよいと思う。
自動車についていえば、自動車そのものの問題もある。自動車を拒否する地域社会も国外にあると聞いたことがある。それはそれなりの地域社会の判断でよいと思う。
排気ガスも問題である。ブレ−キのアスベストも問題である。騒音も。摩擦で飛び散るタイヤそれ自体の問題もある。
「やはり禁止を」というのは、その土地土地で考えればよいと思う。 「私の投書の主旨はなぜ青森県までしばる法的な規制が必要なのかということです」と書いた。民主主義の原点としての問題のとらまえかたとして。このところは新聞では省かれていた。
「法的の規制が必要で、規則には罰則がなければ意味がない」というのが、山形の方の意見であったそうだ。投書には私同様その点がはぶかれたと手紙を戴いた。全国一率でなければ意味がないと。不便であっても守れない規則ではないという立場であることがわかった。
でも「不便」だから反対だというような問題ではない。どのタイヤがより安全かということである。業者はもっと青森県のような人々にも安全で快適なタイヤを研究してほしい。よいものがでればだまっていてもそちらをとるだろう。形状記憶合金などでやれないものか。
現状で法規が通れば失われるのは青森の人の命であるという気がしてならない。
17日付の各新聞に「環境庁の全面禁止緩和方針」を伝える記事が掲載された。スパイクタイヤ使用全面禁止ではなく、積雪・凍結路は「例外」を認める方向で修正新法案にして、関係各方面と協議を重ねて国会に提出しようという内容を伝えるものであった。
「あなたは満足でしょう」
自分の意見が考慮されているようにみえるのは嬉しい。
それでも青森県の対応はこの軌道修正に戸惑いながら「脱スパイク運動推進」の方向であると報道された。
その運動を推進してきた人々の意見がでていた。
「折角環境庁の方針に協力してきたのに、いまさら」
「舗装修理費が年間28億円かかることが問題なのでしょう」
本省の意見に協力とはどんな意識であるのであろうか。
費用がかかることだけならそれを表面にだし、その判断を皆にまかせたらよいと思う。
粉じんによる健康被害だけを表面にだすから、「錦の御旗」という表現をしたのだ。それを「がんやぜん息はいやだ!」これ以上に反対の錦の御旗があろうかという。はたしてそうであろうか。
がんやぜん息を問題にするなら、「おそらく肺がんその他が増えるでしょう」といった推測ではなく、いますぐにでもやらなければならないことは「たばこ」問題である。だからといって「禁煙法案」は賛成しない。それで成功するとは歴史的事実からいって考えられない。
とここまで考えていたら、「青年2人の即死の交通事故」のTVのニュ−スが放映された。そしてテロップに「スタッドレスタイヤ」とあり、事故の現場の画面が流れた。冬道での運転技術が未熟であったのかもしれない。スピ−ドの出しすぎであったのかもしれない。しかし本当にやりきれない気持になった。もしこの二人に補償をすることになったら、2億円はかかる。私の投書が公になったから、もし私がスパイクだったらたすかったかもしれない事故で死んだら、弁護士が遺族のために交渉してくれるだろう。
先日も全国でほとんど考えられないようなまれな事故、雪道教習のとき、助手席に乗っていた自動車学校指導員が死亡したという事故があったと報道された。
車の「しり振り」を防ぐために全車に60Kgのブロックを積ませて教習中という。後輪駆動の車は「しり振り」をするのである。それで生徒はあわてたのが始めではないか。そして助手は自分の方にもあるブレ−キを踏んだ。それでも車は横になり、前方からきた大型保冷車にぶつかった、とタクシイの運転手の推理である。プロの運ちゃんの大半はスパイク派である。
青森で前輪駆動の車がよく売れるのは理由があると思う。私もいち早くFFにした。下町に住む運転好きの友人の奥さんは、あの坂が登れなくて4Wにしたといっていた。そういえば弘前から鯵ヶ沢へ通うことになったN君が一番早く4Wにした。岩木の峠越えには必要だったのだろう。そして最近のはやりは4Wである。それぞれ冬の青森で苦労している。
昔冬道でチェ−ンをつけて走っていたとき、一瞬全く運転の自由を失い、人身事故にはいたらなかったが、あれよあれよと言う間に、横転したことが思い出された。そんな経験のある身にとっては、青森県のような雪道を、またアイスバ−ンの道をより安全に走ろうと思うとき、いまの時点でより安全と考えられるスパイクタイヤを使うことが何故いけないのか、これを一方的に禁止されおまけに罰則まであるいまになっては旧法案とでもいうべき法規制の法案には反対の気持はどこかでいっておかなくてはならぬと考えたのである。新聞のみんなの広場だから。
お正月になって、もしかしたら粉じんをあげることになって、人に迷惑をかけるかもしれないと思われる日が何日あるかと日記をつけているが、まだ一日もない。雪は降って一面白く綺麗な道になっているのである。こんな調子で3月末までつづくことだろう。 (2・1・21)