WHOの高血圧の定義というのがまかり通っている。
TVや新聞の健康欄に登場する高血圧の話には、初めに必ずといってよいほど「WHOの高血圧の定義」が説明されている。
これに対して「WHOの高血圧の定義」などない、というのがこの文の主旨である。
あるのはWHOでいえば、WHOの Technical Report Series という専門家会議のレポ−トによって述べられているものがあって、高血圧の定義については、No.168,1959 以降であって、それ以後いくつかのレポ−トによる定義があるだけである。それも報告によって見解は種々であって、具体的にその数値もことなる。最近ではWHOと国際高血圧学会との合同委員会での高血圧管理へのガイドラインが示されているだけである。
WHOの Techinical Report Series というのは、WHOの国際的な専門家グル−プによる見解をまとめたレポ−トであって、必ずしもWHOの決定とか、定められた政策をあらはすものでない(does not necessarily represent the decisions or the stated policy of the WHO)と書かれていることが忘れられている。
ところが日本ではWHOという権威ある機関がまとめた「高血圧の定義」と受け取られ、またそうゆうものがあるとしてとして述べているのではないかと考えられるが、どんなものであろうか。
日本人の「権威」に弱い体質が、高血圧という学問的な問題にもおよんでいるように思えてならない。
高血圧の疫学を論じ、報告をして以来30年以上たつが、いまもってこのことが理解されていないように思われる。
血圧の測定値を取り扱うことになれば、測定器具、測定方法、測定値の記録方法などによって異なることは、自明の理であると思うが、それが一律に「WHOの高血圧の定義」によって左右されるのはどうしたものであろうか。
問題は人と人々の血圧をどのように理解するかの「血圧論」によると考えるのが、私の立場であるのだが。(2・8・31)