評論家の功罪

 

 医学部教授の友人が「縦書きの方が横書き印刷の方より同じことを書いても原稿料が高いんですよ」と云っていた。

 科学的な論文はいまは殆ど横書きである。そして一般的な「評論的」な論文はいまだに縦書きである。そして原稿料も高い。

 科学者がその一行の事実の証明に一生を費やすことが多いのに、評論家はその一行の知識をもとに書きまくっている。

 評論家・文筆家はその事実を一般大衆に分かりやすく解説し伝えてきた。その評論家の「功」が多いと考えるのではあるが、その「罪」はないものだろうか。

 「主義・主張」というような人々の頭脳が作り上げたものに対してならば評論は自由であると思う。だが「自然科学」「健康」に関することがらは評論家の考えに合おうと合うまいとその「自由」さはないと思う。

 

 今度「食塩と健康」(第一出版)をまとめてみて、食塩と健康との関わりについて日本ではその学問的な論文の解釈・引用・評論に多くの評論家・文筆家が誤りを犯してきたのではないかと思うのである。

 「人間は一日十二から十五グラムの塩が生理的にどうしても必要である。尿や汗にまじって毎日排泄されるので成人で一日当り約十から十五グラムを摂取しなければ生命を維持することができないのである。(世界大百科辞典)」「塩というものが、人間の生存にとって不可欠な物質である。塩をとらなければ死んでしまうのである。(社会学者)」「菜食をしますと野菜はカリウムが多い関係でどうしてもナトリウム、塩を欲しくなるのです。塩をとりすぎて血圧を上げる恐れは菜食にこそあるのです。(医学評論家)」

 ここに書かれていることは科学的に誤りと思われる。

 それぞれ「科学的な事実」に関する研究論文を、研究にたずさわったことのないのに自分流に解釈して文章を書いてしまったのであろう。

   (日本医事新報,3561, 50, 1992.7.25.)

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