私のまとめた「衛生の旅」がパ−ト4になって、その中の「満開の桜」には心を打たれました。先生がいつもいっておられた「人が生まれてどのように死んでいくのか」のお考えを加えて、この機関誌に原稿としてお書きいただけないでしょうか、と鈴木治子さんからの手紙であった。 「衛生の旅」は県立図書館にも贈ってあるので、読んで頂けると思うが、「弘前公園の桜を見るとしたら朝がよい」という書き出しではじまる随筆「満開の桜」とはこんな内容のものだった。
「人ひとりいない公園の満開の桜にかこまれたとき、ふと亡き父を思い、友を思い、胸にこみあげる思いをしたことがあった。
94歳を前にこの世を去り、子孫のために美田を残さず、しかし子供の教育だけは十分受けさせ、母(かあさん)はよくしてくれた、兄弟なかよくしろとのみいいのこしていた父を送り、また友を送ったあとだったかもしれない。
その父が亡くなったとき、明け方そばで寝ていた母が、冷たくなりかけていた父に気がついたものの、朝までじっとしていましたという話を聞かされたとき涙がでた。
母も94歳で亡くなった。
死ぬまでぼけてはいなかったようだ。なにしろあすはお迎えがくるのではないかといって、下着一切きれいにしていたというから。
ただひたすら父につかえていた。だから父が献体する手続きをとったときも何もいわずにそれに従った。
大学の解剖学教室から季節季節にお見舞いがくると、早く来い来いといっていると笑っていた。」
さすがに明治の女ですね。みならわなければと言って下さった友人もあった。
天寿をまっとうしたということであろう。
人の死は肉親にとっては悲しいものだけれど、人はいずれは死を迎えるものなのだ。
人の死は前世からのきまりであるという、なぐさめとも受け取られるこの言葉には、健康を専門に追究してきた者には抵抗がある。
イギリスで初めて「生命表」が計算されたとき、今生まれた人も100年後にはほとんど死にたえるという結果を知って、時の首相がいたく感激したというエピソ−ドが伝えられている。
何がおめでたいといえば、人が順番に死ぬことであるという話を聞いたことがある。
ところがこの青森では、生まれてすぐの子供を多く亡くし、若い人を結核や戦争で亡くしてきたことは残念なことであった。
ようやくこの20年間に若い働きざかりの人達を脳卒中で死なせることは少なくなってきた。胃癌や子宮癌も少しは良くなった。
一方肺癌や肝臓癌は少しも良くなっていないのだ。
癌は早く見つければもはや死を意味しない。癌を早く見つけるには健康の時に検診を受けるしかない。このことは30年も前からわかっていたことである。
そして最近では癌にならないためには、たばこをのまないようにするといった日常の生活の工夫があることもわかってきたのである。
そのように健康に良いといわれる生活を実践することによってこそ天寿をまっとうできるのはないか。
そして皆に喜んでもらえる死を迎えたいものである。
(県民と健康,97, 1-2, 平成1.3.1)