昭和29年に弘前大学医学部衛生学教室(高橋英次教授)の助教授として私が着任したとき福士襄(しょう)先生はすでに教室で研修員として勉強しておられた。だから衛生学教室に関しては先生は私の先輩にあたる。
昭和4年1日2日生まれ、本籍は大鰐町の長峰で、長峰小卒、弘前中卒、昭和23年東北薬専卒、成績優秀により学校長賞を受けている。卒後直ちに弘前医科大学調剤手に任命された。その後青森県技術吏員として弘前保健所に勤務、薬事監視員・食品衛生監視員に任命、薬剤師免許証を交付され、国立公衆衛生院第1回試験検査学科修了、栄養士国家試験合格栄養士免許証を交付され、温泉監視員に任命、中学校や高等学校の理科の免許を交付され、弘前女子厚生専門学校の講師になり、毒物劇物監視員になり試験員にも任命された。青森県衛生研究所へ転勤、環境衛生指導員に任命、青森県血液銀行管理薬剤師に任命され、医薬品販売登録認定試験考査委員に任命されている。この間昭和26年4月から弘前大学医学部衛生学教室の研修員に入学し研鑽を積まれていたというわけである。
福士襄先生の履歴をなぜ私がかくも詳しくを知っているかというと、右の通り相違ありませんという昭和31年7月13日付けの履歴書を戴いたからである。
高橋英次教授が東北大学へ転任され、衛生学担当の教授選考が行なわれ、昭和31年7月5日の教授会で私が後任教授として推薦された。そのとき祝電を戴いたのがメッセ−ジであったのかもしれない。私としてはこれからの衛生学教室の運営にあたって当時教室の助手であった武田壤寿先生には講師から助教授に、そして福士襄先生には助手になって手伝って戴だいたらと考えた。それがそのままそのようになって今にもおよぶ長い長い付き合いになった。おまけに「うそ−」といわれるかもしれないが福士ご夫妻の仲人をやらせて戴いたこともあった。
先生の履歴でもわかるようにその内容から戦後の公衆衛生の展開また発展を見る思いがする。先生は勉強家でもあり努力家でもあり、その中で先へ先へ歩んで来られたと思う。
先日(5-10-11)総合NHK−TVでの「肥満・高血圧・ストレス」を話題にした健康番組で 「高血圧の研究で全国で知らない人がいない位有名な」というナレ−ションが流れた。そのあと青森は津軽のりんご地帯の風景が写しだされた。
その内容は高血圧に食塩が悪いのは今は常識になっているが、もう一つりんごが血圧のコントロ−ルに有効だとの「弘前大学の研究成績によれば」という昭和30年代からの研究の紹介であった。
その中で血圧の測り屋の私の姿もあったが、りんごの成分のカリウム説を展開・実証できたのは福士襄先生がその時は正にはしりのナトリウム・カリウムの炎光分析を手掛けてくれたからである。
また「食塩摂取についての基礎的研究」は先生の学位論文にもなった。共にもう古い昔の話と思われるかもしれないが、学問の展開の基礎にそのような積み重ねがあったのである。
高橋先生と一緒にやった仕事もあれば、昭和29年に青森県でははじめてのりんご農薬中毒の研究もやった。コンピュ−タの計算も今は普通になってはいるが、それをいち早く勉強し研究に取り入れたのも福士襄先生であった。青森県内での「ハエ」の研究もつづけ、環境衛生はお手のものであった。それでいて「宇宙保健(スペ−ス・ヘルス)」の提唱者(昭和37)という面もあった。ヨットの国体にもでた。
医学部衛生学教室助教授のあと、昭和44年12月17日養護教諭養成所の教授として昇任がきまったときは、ほっとしたと同時に今後が大いに期待される人であると思った。