お葉書ありがとうございました。
地震のお見舞いもせずにおりましたが、大したこともなくよかったですね。関東大震災が私の2歳のときでした。
「未病研究会」発足のニュ−ス新聞でみておりました。
「未病」とはすでに古くから中国にある概念で結構な言葉ですが、この研究会の「未病」とは、”健康と病気の間を指し、検査値には異常があるが自覚症状のない状態の時期”と新しい意味づけをしている、と医学界の新聞には報道されました。
「具体的には高血圧、高脂血症、糖尿病初期、高尿酸血症、肥満、脂肪肝、B型肝炎キャリア、シンドロ−ムX、それにHIV感染症もエイズ発症以前ならば、”未病”の範ちゅうに入る」
「この未病期間を長くし、その間に経済効果のある、医療を行うことは、自覚症状のない時期から進行を食い止めるという臨床医の役割を果たせるうえ、高齢化社会の抱える医療経済の問題も解決するはず」
と語られれています。
この発想そのものはすでに病気になった人を相手にしてきた「臨床家」からの発想で、結構とは思いますが、われわれ「衛生学」「疫学」からの「未病」の概念とは異なるものだと、私は思います。
この点につては「衛生の旅 Part 4」の「今こそ発想の転換を 疫学による予防医学へ」に書いたことですが、国際的にはすでに「健康投資」の考えがすでに見られています。わが国ではまだ残念ながらほとんど考えられていないようですが。
もう一つ('94-6-22)付のお手紙で戴いた「医学教育についての技術者養成」に「基本的にあるべき”生きている人間”についての幅広い配慮の取扱があるのではないか」についての私の考えですが、それは大学生になってからの教育というより、それぞれの家庭の中また小中の基礎教育の中にあるべき問題ではないかと思います。
もっとも「病気をみず病人をみよ」とはすでにヒポクラテスの時代から言われていることではありますが。
だだ医学の発展の段階からみると、「こころ」を問題とする「精神医学」はまだ道遠しの感があります。
女子大を退職して一年、若干時間ができ、いろいろと勉強し直す時間がとれるようになりました。近ごろ慶応義塾関連また福沢先生の時代にいろいろ興味があります。例えば「義塾」の「義」には福沢先生としてどんなメッセ−ジがあったのかと思うことがあります。先生自身は書いていないようですし、鳥居新塾長がちょっと述べていましたが。
「向井千秋さん」は後輩ですが、「高橋理事長」も幼稚舎ですし、オウム真理教の医者にも慶応出身者がいるようで、...
お元気で そのうち[衛生の旅 Part 6」をお送りできればと思っていますが。(7-3-28)