15 食塩摂取しない人々

 

 「またその者らは、塩を加えて味をつけた食物をいまだに知らず」と世界最古の文学といわれる「オデユツセイア−」の民族的叙情詩にホメロスが述べて以来、食塩摂取のない人々については語られてきた。

 人間の生活と食塩とのかかわり合いは古いが、この地球上でいわゆる原始的な生活をしている人々については昔は探検によって、また最近では文化人類学的調査によって、日常食塩をほとんど摂取していないで生活している人々のいることが次第に明らかにされてきた。しかし民俗学的興味とは別に、健康との関連について検討されたのは比較的最近になってからと思われる。

 

 1954年人間における高血圧と食塩摂取との関連について作業仮説をのべたド−ル(L.K.Dahl)1)は、極北地方に居住する採集狩猟民の「生肉を食べる人」を意味するエスキモ−について、彼らの食生活はカリブ−・アザラシの肉などを生食しており、食塩摂取量を1日はほぼ1.8グラム程度ではないかと推定2)したが、一般的な数値としては平均4グラムと考え、国際的な日常摂取する食塩とその地域の人々にみられる高血圧者出現率との関連を示したとき高血圧者の少ない地域の人々の例として考えた3)。

 1961年レ−エンシュタイン(F.W.Lowenstein)が北ブラジルの熱帯のアマゾン流域に住む2つの部族民の血圧と食塩摂取との関連を示した研究報告4)は、高血圧と食塩との疫学的接近を行った研究の中で重要であった。

 この研究は「血圧は年齢と共に上昇するのか」という疑問に答えようとしたものであった。すなわち血圧測定が普及してきて、いわゆる文明国の人々の血圧は年齢が上がると血圧も平均値として上昇すると計算されるのが一般的なことであったので、何を「正常値」と考えるかの問題もあった。

 しかしこの調査の結果、Carajasというより原始的である部落の人々は、自然環境にある食物によってのみ生活し、カリウム塩である植物の灰を用いており、血圧は低く加齢によって上昇しないが、Mundurucus族は食卓塩を用いるという生活になっており、いわゆる文明国の人と比べて血圧水準は低いが、加齢と共に血圧が上昇する傾向にあることが認められれた。この傾向は文明人に接した文明化(civilization)あるいは文化移入(acculturation)の結果ではないかと考えた。

 1968年プライオ(I.A.M.Prior)らは太平洋の島々の人々の血圧は一般に低いと報告のある中で、2つのポリネシア人を比較して、食塩摂取量がナトリウムとして1日50-70mEq(食塩として2.9-4.1グラム)と少ないPukapukaは血圧は低く、1日120-140mEq(食塩として7.0-8.2グラム)のRarotongaは血圧が高くなっていると、食塩摂取量と血圧との間に種族間では平行関係があると報告した5)。またこれらポリネシア人がニュ−ジ−ランドへ移住した場合に食塩摂取や血圧はどのようになるか追跡検討した成績を1983年に報告6)したが、血圧は有意に高くなり、早朝尿のNa,Kの濃度が変化し、Na/K比は男0.83から2.62へ、女は0.89から2.28に変化したが、現時点では説明できず、今後の研究が期待されると述べた。さらに同じ対象について14年に亙って追跡した成績を1989年に報告7)したが、血圧の上昇の大部分は体重増加に帰せられるものと考えられるかもしれないと述べた。

 1974年ペイジ(L.B.Page)らはソロモン諸島における調査成績をに報告した7)。6つの種族間で、食事の相違、とくに食塩の摂取と、血圧水準の傾向はよく相関していると述べた。その食塩は缶詰や肉や魚の摂取量に関係し、より文明化した人々に実質上多かった。とくに食塩摂取量が多く、血圧も高いLauでは、野菜を海水で料理する習慣があったと述べている。

 すでに1958年に文明にふれないニュ−ギニアの原住民は血圧は低く食塩摂取量の少ないことに注目していたホワイト(H.M.Whyte)8)は1973年シネット(P.F.Sinnett)とニュ−ギニアにおける高地住民の15歳以上の799名について食生活と血圧との関係を報告した9)が、摂取エネルギ−のうち炭水化物は90%以上で、脂肪3%、たんぱく質は1日25グラム、食塩摂取量は1日1グラム以下と見積られた。現地のイモはナトリウムの含量は少なく、彼らの「塩」は木から作られたカリウム塩であったと記録されている。尿中へのナトリウム排泄は135名の女子で13.7±18.1mEq(食塩として約0.8グラム)、138名の男子で6.4±12.3mEq(食塩として約0.4グラム)で、血圧はナトリウムの排泄と関係はないが、血圧の平均は最高血圧12mmHg、最低血圧80mmHg付近で、男女とも年齢による増加は認められなかったと述べている。

 最近の食塩摂取と循環器系疾患に関する最も注目すべき研究はオリバ−(W.J.Oliver)らの塩のない文化("no salt" culture)にあるブラジル北部、ベネズエラ南部の熱帯赤道下降雨森林に住む数千年来いわゆる文明化していない人々(ヤノマモ・インデイアン(Yanomamo Indians):ヤノママともヤノマミともいう)について行った調査報告10)であろう。24時間尿のナトリウム排泄量は1.34±2.01mEq(食塩として約0.08グラム)と極めて低く、カリウム排泄量は200.38±80.17mEq(約7.8グラム)であり、彼らの血清ナトリウムは140mEq/Lで、対照の142mEq/Lとほぼ同じであった。彼らの食生活はバナナあるいはイモが主体で、ナトリウムが極めて少なく、カリウムは多い食生活をしていることがわかるが、このような生活で、血圧は最高血圧100mmHg前後、最低血圧60mmHg前後で、肥満もなく、肉体的には極めてアクチブであると報告されている。このような食塩が少なくて食塩の収支が取られているのには、尿中に排泄されているアルドステロンが74.52μg/24hr、血漿レニン活性が13.10±14.17ng/ml/hrと著しく高いことから、そのために体液のミネラルのホメオステ−シスが保たれていると考えられた。またつづいて出された報告10)によって妊娠また授乳の際にもこのように少ない食塩摂取でミネラルのバランスがとれていることを示した。

 この研究論文の標題にあるように、塩のない文化に住む人々についての血圧、ナトリウム・カリウム摂取状況およびこれに関連のある内分泌の調節機構についての調査報告で、文明化された社会における塩の欲求(salt appetite)は塩の要求(salt requirement)(demandではなくneedの意味として用いていると思われる)とは等しいものでないとのド−ル(L.K.Dahl)の見解12)を支持する成績であったと述べている。

 われわれも食塩摂取の少ない人々についての調査成績として、パプア・ニュ−ギニアの人々の毛髪のナトリウムなどのミネラルを日本の秋田県の人々の毛髪のそれと比較検討して、食塩摂取量を反映して差があり、秋田に多く、ニュ−ギニアでは少ないことを報告した13)。また1981年の時点で10年前と比較してナトリウムの摂取増加を認め、まだ1日5グラムの低値を保っているが、内陸より沿岸に食塩摂取が多く、それは西欧化した食塩添加の食べ物また食卓塩の使用によると思われた。しかし血圧と食塩摂取との関連は証明されず、肥満と関連していたことを認め報告した14)。

 また「調味料はまったく使わない。ひとつまみの塩すらないのだ」「ブツシュの中に原始的な生活を送る人」といわれ本来は「サン」と呼ばれるべき「ブユシュマン」15)について、われわれの考案した「濾紙法」を用いて、彼らの尿中にはクレアチニン1グラムに対して食塩1.93グラム、カリウムは2.30グラムであり、Na/K(mEq)比は0.98で、彼らはほとんど食塩を摂取していないことを確かめて報告した16)。

 

 わが国では伝統的な食生活から食塩摂取は多いと考えられる17)。

 農民栄養調査によってみると、昭和33年には日本農民の1日1人当り平均食塩摂取量は19.2グラムで、その内容は醤油から6.5グラム(比率として34%)、調味料として5.8グラム(30%)、味噌から3.1グラム(16%)、漬物から2.5グラム(13%)、その他の食品から1.2グラム(6%)、合計19.2グラム(100%)と計算されていた。また現在行われるようになった国民栄養調査による食塩摂取についての昭和41年から46年までは全国平均1人1日17-18グラムと推測され、昭和60年代になってほぼ12グラムに低下したが、昭和63年の資料をみても、12.2グラムで、調味料から摂取する食塩は6.9グラム(56.5%)で、その内訳は醤油が3.2グラム(26.2%)、味噌が1.7グラム(13.9%)、食塩が1.6グラム(13.1%)、その他の調味料0.4グラム(3.3%)となっており、調味料以外の食品からの食塩は5.3グラム(43.5%)で、魚介加工品が1.2グラム(9.8%)、漬物が1.0グラム(8.2%)、小麦加工品が0.8グラム(6.6%)、その他の食品2.3グラム(18.9%)となっている。

 このような食生活をしてきた日本人が外国のそれも食塩摂取が比較的少ない国へ移住した例として、南米ブラジルおよびボリビヤに居住する日本人と現地住民の尿中Na,K排泄パタ−ンと血圧値に関する比較民族学的研究を報告した18)。日本人はNa/K比(mEq)は4.2、食塩/クレアチニン(g/g)は11.6と現地人(それぞれ0.76,4.2)と比較して高く、日本での食生活を維持している様子が推測され、それらの値と各集団の高血圧出現率とは正の相関を認めたが、現地のインヂイオには高血圧者がいなかった。

 このように日本の中で日本の伝統のある食生活をしている日本人の中で食塩摂取が少ない人々がいることは一般的には考えられない。

 しかしその中で北海道に住むアイヌ族は食塩摂取が少ない人々であったと考えられた。

 昭和の初めアイヌ族の死亡に関する統計的観察19)によって、和人とちがって、脳出血や癌による死亡が少ないことが認められていたが、胃癌の多い日本に同じく住みながらほとんどアイヌには胃癌が見あたらないという問題に取り組んだ並木正義はアイヌの食生活について調査・報告した20)。

 すなわち、アイヌが食物の調理に際して用いた調味料は、その昔は獣脂、魚油が主であり、和人との交流が行われるに及んで塩も使用されるようになった。塩をたくさん用いて作る漬物というものはなく、漬物に相当するアイヌ語すらない。それに干し魚や薫製にして塩を使わないなど、食塩の摂取量が少ないというアイヌの食生活の特徴について述べた。

 日本人であって、戦時中の事情21)から28年間にわたって低栄養状態に耐えぬいたという症例について栄養学的考察を行った報告がある22)。

 被検者はこの間食塩を殆ど摂取していない。それにも拘らず28年間生存して来たのは、タロホホ河水に340ppm、ココナツミルクに120ppmのナトリウムが含まれていたからではないか、総合的には彼の長い生活は、低カロリ−、低たんぱく質であったと想像されるが、いわゆる「栄養失調」の状態には至らず、低栄養の状態で平衡が保たれていたのではないかと想像されると述べられている。

 同様な例として、「私はずいぶん長いあいだ、塩をなめたことがない」「灰が塩のような味があるのだ」と灰が塩の代理品を発見するという経験の記録23)があり、「主食はバナナ、ヤシ、いぶし肉」で海岸の岩の間でみつけたニガリの強い天然塩を用い、島の塩田から「必要量だけを頂戴した」という経験が語られている24)。

文献

1)Dahl,L.K. and Love,R.A.:Relation of sodium chloride intake to essential hypertension in humans. Fed. Proc.: 13, 426, 1954.

2)Dahl,L.K.:Salt intake and salt need. New England J. Med. 258, 1958 -1156, 1205-2108, 1958.

3)Meneely,G.R. and Dahl,L.K.:Electrolytes in hypertension: The effects of sodium chloride. Med. Clinics of Nortth America, 45(2), 271-283, 1961.

4)Lowenstein,F.W.:Blood-pressure in relation to age and sex in the tropics and subtropics. A review of the literature and an investigation in two tribes of Brazil Indians. Lancet, i, 389-392, 1961.

5)Prior ,I.A.M., Evans,J.G., Harvey,H.P.B., Davidson,F. and Lindsey, M.:Sodium intake and blood pressure in two polynesian populations. New Engl. J. Med., 279(10), 515-520, 1968.

6)Joseph,J.G., Prior,I.A.M., Salmond,C.E. and Stanley,D.:Elevation of systolic and diastolic blood pressure associated with migration : The Tokelau Island Migration Study. J. Chron. Dis., 36(7), 507- 516, 1983.

7)Salmond,C.E., Prior,I.A.M. and Wessen,A.F.:Blood pressure patterns  and migration:A 14-year cohort study of adult Tokekauans. Amer.  J. Epidemiology, 130(1), 37-52, 1989.

8)Page,L.B., Damon,A. and Moellering,Jr.R.C.:Antecedents of cardio- vascular disease in six Solomon islands societies. Circulation, 49, 1132-1146, 1974.

9)White,H.M.:Body fat and blood pressure of natives in New Guinear: Refrections on essential hypertension. Aust. Ann. Med., 7, 36-46, 1958.

10)Sinnett,P.F. and White,H.M.:Epidemiological studies in a total highland population, Tukisenta, New Guinea. Cardiovascular disease and relevant clinical, electrocardiographic, radiological and biochemical findings. J. Chron. Dis., 26, 265-290, 1973.

11)Oliver,W.J., Cohen,E.L. and Neel,J.V.:Blood pressure, sodium intake, and sodium related hormones in the Yanomamo indians, a "No-salt" culture. Circulation, 52(1), 146-151, 1975.

12)Oliver,W.J., Neel,J.V. Grekin,R.J. and Cohen,E.L.:Hormonal  adaptation to the stresses imposed upon sodium balance by  pregnancy and lactation in the Yanomama indians, a culture  without salt. Circulation, 63(1), 110-116, 1981.

13)Dahl,L.K.:Salt intake and salt need. New Engl. J. Med., 258, 1152 -1157, 1968.

14)Sasaki,N., Takemori,K., Ohtsuka,R. and Suzuki,T.:Mineral contents  in hair from Oriomo Papuana and Akita dwellers. Ecology of Food  and Nutrition. 11(2), 117-120, 1981.

15)Inaoka,T., Suzuki,T., Ohtsuka,R., Kawabe,T., Akimichi,T. Takemori  ,K. and Sasaki,N.:Salt consumption, body fatness and blood  pressure of the Gidra in Lowland Papua. Ecology of Food and Nutrition, 20, 55-66, 1987.

16)田中二郎:砂漠の狩人.中公新書,東京,1978.

17)佐々木直亮、竹森幸一:濾紙法による尿中食塩排泄量測定.日本医事新報,  3209, 25-27, 1985.

18)Sasaski,N.:High blood pressure and the salt intake of the  Japanese. Jpn. Heart J., 3(4), 313-324, 1962.

19)津金昌一郎、竹森幸一、佐々木直亮:南米ブラジルおよびボリビヤに居住 する日本人と現地住民の尿中Na,K排せつパタンと血圧値に関する比較民族 学的研究.日本民族衛生学雑誌,52(3), 127-132, 1986.

20)井上善十郎、安部三史:北海道(舊土人「アイヌ」族ノ死亡ニ関スル統計 的観察).北海道医学雑誌,15, 2934-2956, 1937.

21)並木正義:アイヌの食生活.臨床栄養,42(4), 457-464, 1973.

22)丸山一雄:横井庄一さんの復員記録.厚生,27(8), 14-20, 1972.

23)大磯敏雄、他:横井庄一氏に対する栄養学的考察.国立栄養研究所報告,  22, 261-267, 1972・1973.

24)中村輝夫:モロタイ島31年の記録.おりじん書房,東京,1975.

25)小野田寛郎:わがルバン島の30年戦争.講談社,東京,1974.

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