今年平成十一年の春の新歓コンパには欠席しました。
SPURの弘前だよりを待って戴いている方もあろうかと、ペンならぬコンピュ―タに向かって原稿を書くことにしました。
もっとも昨年の弘前だより(SPUR37)に書いたように、ホ―ムペ―ジに入れるようにしましたので、もうご覧いただいた方もあるかとも思いますが。
今年医学部の医学概論の中で「6月29日」に「医学を学ぶ諸君へ」という題で話をするようにとの係りの工藤一教授に言われましたので、医学部に私のペ―ジを入れて見られるようにしました。
「http://133.60.238.51/~sasakin/naosuke.html」です。
去る5月22日新歓コンパのご案内を受けながら欠席したあとの事件「こんなことがありました」もすぐいれました。
SPUR創刊以来私の書いた「弘前だより」も全部入れてました。
今度日本医事新報へこのSPURが出る前に出る随筆「ゼッコン」も入れました。何時「絶筆」になってもいいようにとの意味です。
それにしても「時は流れ」「時代はどんどん変わっていく」ようです。
昨日平成11年6月5日「弘前大学創立50周年記念式典」が文化―ルで行われました。医学部が青森医専から数えての50年を先年行ったのが昨日のようです。
第2外科教室も先日5月15日に開講50周年のお祝いでした。ご同慶に至りとお祝いに参上しました。
隣に座っていた寄生虫の山口富雄名誉教授がつぶやいた言葉「五体満足だな」を聞きました。
「五体不満足」の流行語をとらえた言葉と受け取りましたが、医学部の講座として、初代から現在の教授までそろって誠におめでたい話です。槇哲夫先生、大内清太先生はじめ皆さん元気でした。佐々木教授といえばこの頃は二外科の佐々木睦男教授の方が有名になって、結構なことと思います。
弘前は最近すっかり変わりました。
あの「角は」のあとにできたモダ―ンな「ハイロ―ザ」が姿をけし、あの角は空き地になりました。かね長は立体駐車場になりました。駅前もすっかり変わりました。昔の姿は「コンピュ―タ」に少し入れた「衛生学教室のアルバムから」をご覧下さい。
東野修治先生が弘前に赴任されてきたときおっしゃった言葉「駅でおりて・土手を行って・火の見やぐらのところを左にまがると・医学部の校舎(元朝陽小)がある」その「火の見櫓」が近く姿をけすとか。(990606)