インドネシアから羽田空港についたのチャ−タ機のタラップから杖をついて降りてきた”ジェンキンスさん”
迎えた曾野ひとみさんと抱擁しキッスをした”ジェンキンスさん”
”今ジェンキンさん”の心の内は?と思うのです。
胸の”赤バッジ”はなく、娘さん達のブラウスにも”赤バッジ”は見あたらず、”青いリボン”がひらめいていた。
「人々の心、山、川、谷、みんな温かく美しく見えます 空も土地もわたしにささやく、お帰りなさいと」と書いた”詩人のひとみさん”。
「どうしてこんなめんどうな人生になったのでしょうか」とも書いている。
「今度は”母”を迎えたいものです」と。
”思い出の男ものの腕時計”が二つあるとのこと。一つは母からもらったもの。もう一つはその腕時計が動かなくなったとき、ジェンキンスさんにもらったものということだ。
「本当は北をでたかったのです」とジェンキンスさんが云っていたともも報道されている。
どんな事情があったのか、本当のことは、本人達でなければわからない。
ジェンキンスさんが「訴追されるかどうか」が問題だとばかり紙面などから受けとっていたが、今朝のラジオを聞いていたら、「すでに195*年かに”訴追”されている」とのことだった。
「訴追」とは辞書によると「検察官が刑事事件について公訴を提起すること。起訴と同意」とあった。「公訴とは検察官が起訴状を提出して、刑事事件について刑の適用を求めること」とあった。
でも一般の起訴とは違って”軍事法廷上のこと”であろう。
となると、日本またアメリカという国はどうこの問題をとりあつかうことになるのであろうか。 この辺の情報は不確かである。
小泉首相と1時間も”何を”話しあったのであろうか。 ”gurant・・”とかいったとか。
”北京”ではだめで、”ジャカルタ”では何故よかったのか。
インドネシアで酒を飲んだとき”北”へ帰るとさけんだとか。
断片的な情報では分からない。
東京へついてどこへ入院するのかと思っていたら、主治医たちの記者会見でその場所が明らかになった。ただ病名はプライバシイの関係で明らかにされないとか。
ジェンキンスさんは今何を考えているのであろうか。(20040725)