近く2000回を迎える「笑点」のTV番組をみての記憶を書いておこうと思う。
日曜の夕方に放映されるこの番組は私は比較的よく視ている方だと思う。
その中で「りんご」に関する話題があったことについては前に書いた。
「青森のりんごとかけて何ととく?」の問いに「”徒然草”ととく・・・その心は・・健康に奉仕する」の桂歌丸師匠の答であった。「兼好法師」と「健康奉仕」をかけた答えであった。青森での「ご当地」であった時だったか。
いつもその即答に、頭の回転の良さに感心するのであるが、今日のテ−マに関する問答で記憶に残っているのは、次ぎの言葉であった。
どんな問いかけにも”ブ−”と否定的な答えを云わなければならない問いかけの時であった。
「ク−ベルタン男爵は”オリンピックは参加することに意義がある”といった!」という問いかけであったと思う。
それに答えたのはいつも”腹黒い!”ことで名をうっている青山大出身かの三遊亭楽太郎の「ブウ−!」であった。
何と答えるかと思っていたら 「ク−ベルタン男爵は日本語はしゃべれない!」であった。
そうなのである。
あの世に有名な言葉も、云われてみれば、もとの言葉、男爵はいつ、どんな言葉でいったのか、書いたのかは、自分では知らないのである。ただ何となくそんなことを記憶していたに過ぎない。
このことは、学問を追究してきた身にとっては、明らかなことではなかったか。
”priority”といい、”original”といい、誰が何時どんな記載・記録を初めて残したかによることである。それの文献を探し先人の業績を調べあげることから始めたのではなかったか。
いってみれば、”第一次の情報”であろう。
そんな気持から、「新聞は何を伝えてきたか!」を書いたのではなかったか。
また「翻訳の問題」を書いたのではなかったと思う。
ソニ−のトップがアメリカ人になったというニュ−スが放映されていた。
「皆さんこんばんわ!」は日本語であった。
つづいて口をついてで出た言葉は「English」で、「・・・evolution・・・」と聞いた。画面の日本語には「進歩」とあったと視た。
世にいう「進化論」については以前その語源は何時誰が言い出したのであろうかと考え調べたことがあったことを思い出した。(200500313)