「割り箸事件無罪判決」「呼吸器はずし死亡事件」と医師に関係する報道がつづいている。
「医師と弁護士の思想」につづく「オタク老人のひとりごと」である。
事件の詳細は知らない、新聞報道からの情報にのみ読んでの感想である。
「割り箸事件」が以前に報道があったときには、開業医は大変だなと、その経験の無い者のひとりごとであった。救急医も同様であると思う。
何故なら、その人・患者についての「情報」は何も分からない人・患者のために「医療」を施さなければならない立場におかれるからである。
「意識」のある人からは、医師による「視診」そして「問診」からはじまると思う。「自覚症状」はその人の口からでる「言葉」で医師は判断しなければならない。
「本当」のことが「口」からでるとはかぎらない。「うそ」をいうということもある。「自白」は必ずしも「信用」してはいけないと教えられていると思う。実例も身近に経験したこともある。
「意識」のない多くの「救急医療」の場合はどうであろうか。
「救急車」にはじめて運ばれた自分の経験から、あとで色々考えることがあったが、あとにゆずろう。
「呼吸器はずし」の問題は、正に「自分」の問題であり、「身近な問題」でもある。いわゆる「安楽死」「尊厳死」の問題であって、わが国では論議は「未熟」である。
昨日「一億円献金問題」で「無罪」の判決がでて、色々論じられている。検察は「上告」すると報道されているので、まだ「判決」が「確定」されたわけではないと思われる。わが国では「最高」までいって「決定」される仕組みになっているのではないか。
その「判断」がでる前にいろいろ「メデイヤ」で論説は展開されるのは。いつも「どうかと思う」が「ひとりごと」である。(20060401)